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zoom RSS 「雲流るる果てに」−54−

<<   作成日時 : 2010/09/16 06:24   >>

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矢野 昇 [やの・のぼる] 中央大学ー長崎県出身ー昭和20年4月23日、沖縄方面にて戦死。25歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」259〜261頁)

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    お母様の眼
 
 お母様、先日御出で下さいましたのに何等お話も出来ませず失礼いたしました。淋しいお心持のまゝお帰りだった事だらうと想像いたし、なぜもっとやさしく応対しなかったか、今更後悔して居ります。

 平素御便りに申しました通り、国内も雲行が悪くなって参り、日と共に我々同志の者も次々に飛び立ってゐます。同期の者を見送るとき、いつになったら自分もあの感激が味はえるのかと、先立つ友を恨む気になるのです。しかし待つ甲斐あって、私にもいよいよ飛躍する秋が刻一刻と近づいてまゐりました。日曜日にお出下さる約束でしたが、それもはや不必要と存じます。すでに飛んだ後かと思ひますので、この便りを認める次第です。

 お母様だけなりと飛び立つ我々の勇姿を一目みていたゞきたかった。それも今となってはかなひますまい。むしろ見送って下さらぬ方がいゝかとも思ひます。

 お母様、考へてみますに、今日まで何一つ御恩返しのまねごとすら出来ず、不幸ばかりの数々・・・・・・お許し下さい。苦労して大学を卒へようとする私の信念に母さんは敗けて、私の学資の事については一切関係しないと固く云はれた母さんでしたけれど、上京してみると不安をいだいてゐた私に細々としたお心づくし、在学中に病気を知らせれば早速上京、夜を徹しての看護に、あゝ、母さんなればこそと、嬉し泣きにないた事はまだ私の頭にこびりついてゐて、終生忘れることが出来ないのです。


 予備学生入隊の時にも母様にはきつい御意見でした。年取られたお母さんにしてみれば無理もない事で、心ではすまぬと存じ、陰ながら合掌致した自分でした。今の私共若人にとってはこの道を進むことによってのみすべてが解決されるのです。いつでしたか、小生休暇の折、母様のおそばにゆきましたね、そして士官姿の自分を見られたあの時のお母様の眼、お母様のお顔が今も心に浮かんでみえるやうです。よし! これで安心して飛べるぞと思ひました。万が一戦死いたしませうとも、涙もろい母様に泣くなと云ふ事は無理かと思ひますが、何卒ぐちをこぼさぬ覚悟でゐて下さい。昇、最後のお頼みです。

 幸ひにして任務をはたして帰隊出来ますれば、又お母さんにも会へませうが、とにかく強く生き抜いて下さい。

 千葉にゐる叔父さんにも会ふ機会がなく、休暇にでも帰られましたら呉々も残念だったとお伝へ下さい。陽子の事は本人の意志におまかせ下さるやう御願ひいたします。書けばつきませんので今日はこれで失礼します。必要のない品はみんな送りました。同封の貯金通帳お受け取り下さい。今の自分等は無我の境とでも申しますか、心にかかる何物ももありません。たゞ特攻精神あるのみで、晴れの門出を待つばかりです。よろこび勇んで飛びたつ昇の姿を御想像下さい。

 ではお母様! 征って参ります。
 四月十六日

 お母様へ                                               昇

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