満州っ子 平和をうたう

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zoom RSS 満州っ子 神島家の人びと

<<   作成日時 : 2010/10/05 05:55   >>

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昭和50(1975)年、四兄・神島四郎が五十四歳で死んだ。私・至正は次点で落選、喘いでいる最中である。シベリア帰りの商才ある彼と会社を経営、浮かんでは沈み、沈んでは立ち上がり、変遷すること五たび、ようやく軌道に乗りかかりつつある時彼が逝った。葬儀の会葬者に涙ながらに私が挨拶、永井和子が詩を朗読し捧げた。

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     或る男の歌
 
  〜故・四郎兄に捧げる〜

一人の男が死んだ
神島四郎 五十四歳
西落合のちいさな家に
ことし高校に進学した息子と中学生の娘と
すこしやつれた妻を残していった

神島四郎 五十四歳
大正十年 旧満州国遼陽に生まれた
黄土と高粱畑の広い風を呼吸して育った
学校では首席でロシア語を学び
女学生のたちの憧れの的だった

神島四郎 身長175センチ体重六五キロ
とびきり人の好い正義漢だった
満州帝国と日本帝国軍隊の権力に便乗して
金儲けがうまかった父とは反りが合わず
母の血をひいた


戦争を背負ってはじまった彼の青春は
日本軍国主義の敗北で戦争が終わったとき
とりかえせない傷痕になって終わった
締めつけられ 病んで 切り取られた
二本の肋骨の痕のように

ロシア語の才能と暗号解読の特殊任務
戦犯 シベリア抑留 結核
そして帰国
戦争にねじ曲げられた彼の半生は
昭和初期に生きた若者の共通のドラマだった
昭和二十五年
故国に帰りついた彼の手にあったものは
175センチの身長と五十キロを割った体重
胸部の赤黒い傷痕とおしつぶされた青春だった

神島四郎
奪われた時間をとり戻すために
しゃにむに生きた
妻をもち二人の子を養ない
いくつもの会社を経営した
戦後のインフレと特需と不況の波に
まともにぶつかり
素手で泳ぎぬき
新築のビルに新しい会社をつくり
泳ぎ疲れて 倒れた


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息苦しいベッドの上で彼は夢を見る
中国大陸の果てしない原野を
吐く息がたちまち真っ白に
シューバのふちに凍りつく冬が
オーロラのように溶けて
凍りついた地面がゆるむと
いっせいに芽吹く猫柳の銀色のわた
大地を真っ黄色にうめつくすれんぎょうの花
ライラックの甘い香り
目が痛くなるほどはるかな地平線までつづく高粱畑
追いかけても追いかけても
火の玉のように燃えて落ちない大きな夕日
すっぽり大地をおおう宏大な星空


麻酔の重苦しいねむりのなかで
鈍い痛みをこらえながら彼は夢を見る
シベリアの凍土のなかで
灼けるような憧れに想いつづけていた
ふるさと日本は
なんとうす汚れてしまったのだろう
桜は年ごとに色あせ隅田川はよどみ
季節も風も黄色い埃りに窒息してしまった
しゃにむに彼が働きつづけた二十余年
高度成長経済のあえぎに
ひそかに侵されつづけていた彼の体と日本列島
ふるさとの桜 ふるさとの空と海
平和でしあわせな家庭
奪われた青春の代償に彼が必死に求めたものを
さらに奪いつくしたその手が
彼の健康をもくいつくしてしまった


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神島四郎 五十四歳
昭和五十年七月十三日
早咲きの夏ばらがひらきはじめた日に
死んだ
ふたたび奪われることのない青春を
生きてくれ と
二人の子どもに心残して 死んだ

神島四郎五十四歳
あと四年 生きたかった と


【注】関連記事→「シベリア物語」(クリック)

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