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zoom RSS 詩集 戦争のなかの馬たち

<<   作成日時 : 2011/02/17 09:52   >>

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本詩集は、永井和子さんの第六詩集(1984年刊)である。かって坂井徳三が彼女の作品群を評して、「ほとんどそのまま読む人へ、なっとくして受けとられる」といったが、まさにそのとおりで、しかもそのうたい方一筋にがんばって、彼女は詩歴をかさねてきた。長編詩集「戦争のなかの馬たち」を紹介しよう。

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  戦争のなかの馬たち

はじめに

昭和20年
太平洋戦争とよばれた第二次世界大戦は
たくさんの命を犠牲に
日本の敗戦による終末へと向かっていた

アメリカ、イギリス、中国、ソヴィエトの
連合国を相手にたたかってきた
日本、ドイツ、イタリアの同盟国のうち
イタリア、ドイツはすでに降伏していた
追いつめられた日本政府は

大学生以上は学徒動員で直接戦場へ
高校生、中学三年生以上は勤労動員で軍需工場へ
小学校三年生以上は学童疎開で地方へと
すべての子どもたちを戦争にまきこみつつあった

それでも 子どもたちは
日本は神の国、天皇は神
この戦争はアジアを日本と一つにして
神の国にする聖戦と教えられた神話を
そのまま信じこんで
けなげに生きていた




昭和20年4月、野々宮稔と橋本鋭二は
市川学園中学の二年生だった
ある日担任の先生が稔たちに告げた
「きみたちにも勤労動員がきたぞ
 行く先は中山競馬場。仕事は、軍馬の世話だ」

稔たちはいっせいに
ワッーと歓声をあげた

三年生たちがとっくに勤労動員でいなくなったガランとした校舎で
毎日のようにやってくるB29の空襲で
落ち着かない授業より
よほど魅力的な作業におもえた




少年たちそれぞれに一、二頭ずつの馬が与えられて
競馬場での馬たちの世話は
きつい労働だったが たのしかった
空襲の合間をぬって草をたべさせにつれて出る
体を洗ってやる
全身、ブラシをかけてやる
運動といって、騾馬にのって走る

さいしょ おずおずしていた馬たちも
少年たちの無心な愛情に
日、一日
少年と馬たちの愛情は深まっていった


  ぼくの馬は 青
  みろよ つやつやと光っている背中を
  台所のかめのなかからもちだした
  ひとにぎりの岩塩
  ぽけっとにいれておくと わかるんだよ
  鼻をつっこんでくるんだ かわいいな

  ぼくの馬は 黒
  みろよ きらきら光っているこの目を
  畑からこっそりぬいてきた
  いっぽんの人参
  かくしてもっていても わかるんだよ
  顔おしつけてくるんだ かわいいな

  ぼくの馬 青
  ぼくの馬 黒
  年とった軍馬だけれど
  せいいっぱい働いてきた
  かしこい馬だよ かわいいな
  稔と鋭二は たがいに
  自分の“愛馬”を自慢しあった




しかし、やがて稔たちは
馬の世話のほんとうの意味を知らされた

年老いた馬たちは
軍馬として働きつづけた老後をいたわれるために
送られてきたのではなかった
やがてくる本土決戦にそなえて
ガスエソ用の血清ワクチン」を採るため
送られてきたのだった
血清を打たれ抗体ができたとき
全身の血を採られて死ぬために
新潟県新発田市から貨物輸送されてきたのだった

ふつう、ワクチンをとるために採血するのに
血液を全部採って馬を殺すことはしない
いくら戦争の最中だといっても
こんな残酷な採血のしかたを考えるなんて
とても人間のやることとは思えない
誰が、こんなひどい方法を考えたのだろうか

それでも
けんめいに馬の世話をつづける少年たちの目の前で
血清を打たれ 抗体ができた馬たちは
獣医の命令で 一頭、一頭
血を採られて死んでいった




青の番がきた
死をかんじた青はおびえて暴れまわる
四本の脚にロープがかけられる
ひきたおされる
どうと 横たおしになった馬に
むしろがかけられる
少年たちがのしかかっておさえつける

獣医が動脈にメスをいれる
ゴム菅をさしこむ
直径10センチ高さ30センチばかりの円筒形のガラスびんに
うなりをたてて鮮血がほとばしる
一本、また一本 ガラスびんがならぶ

馬の呼吸があらくなる
脂汗が全身にふきでる
さいごのもの悲しいいななきー

稔は厩舎を走り出た




稔は走った

青をつれて
草をたべさせにきた
いつもの草原

青が好きだった ちがやが
白い穂になって
七月の風になびいて
稔は土をつかんで泣いた

岩塩をなめさせてやったら
うれしがって
前足で土をかいてみせた 青
かゆい肩をこすってやったら
鼻をこすりつけてきた 青
青が 前足でかいた土
青がかんだ草のあと ひずめのあと

ちがやを力いっぱいひきぬき
ほおりつけて 稔は泣いた

ぼおっと かすんだ頭のなかに
「日本は敗ける この戦争は敗ける」
そんな言葉がきれぎれに浮んだ  




いつのまにか鋭二がそばに立っていた
「黒も 死んだよ」
鋭二がいった
「日本は 戦争に敗けるよ」
鋭二の声は泣いているようだった
二人の少年は
長い間黙って立っていた

夕日が落ちる競馬場の
うすむらさき色のなかで
稔たちは
駆けていく青と黒のひずめの音をきいた
たのしげないななきと走り去る影をみた

  雪ふかい
  ふるさとが恋しいのか
  やさしい目をしていた馬たちよ
  戦争のなかで死んでいった馬たちよ
  はしれ山をこえて
  はしれ海をこえてふるさとのまちへ

  なつかしい
  山河をおもいだすのか
  かなしい目をしていた馬たちよ
  戦争に殺され
  死んでいった馬たちよ
  はしれ雲をこえて
  はしれ星をこえてふるさとの空へ




稔たちが予感した日本の敗戦は
わずか数日後の八月十五日にやってきた
しかもそれは
ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下という
悲惨な犠牲を支払ったうえでのことだった

あの戦争から38年が過ぎた
稔は いま
中学校で歴史の教師をしている

昔の自分と同じ年頃の子どもを教えながら
稔は
戦争を正しいと信じこませる教育だけは
ゆるすまい
まちがった歴史を教える教師にだけは
決してなるまい と思っている

三月十日の東京空襲や
八月六日のヒロシマを
子どもたちに話してきかせるとき
稔の胸には いまも鮮やかに
あの日の馬たちの姿が 浮かんでくる


稔たち12〜13歳の少年が体験した残虐な馬たちの死は、あとでわかったことだが、中国大陸で悪魔の部隊と噂された731部隊、石井隊長の部下の指揮によるものだったそうである。

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