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zoom RSS 江東9条の会 誕生の秘話

<<   作成日時 : 2011/05/08 05:22   >>

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「江東9条の会」の設立は2004年12月9日だった。東京23区の中では早い方かも知れない。あれから7年。振り返ってみれば様々なことが起っていた。とりわけ設立時の曲節は記述しておく必要があるだろう。戦後マスコミ界を賑わせていた「今だから話そう!」の伝でいえば、「江東9条の会創立日に講師がドタキャンした理由(わけ)」をここで披露しよう。

▼「江東9条の会」のしおり
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前略 K・T さん
 
 あなたの誕生の年、1949(昭和19)年、私は12歳で国民学校の6年生だった。ところは日本の植民地・旧満州国・吉林省公主嶺市。同じ年の12月、五兄はフイリピンで天皇制軍隊により殺された(神風特攻死)。そして敗戦。四兄はシベリアに引き立てられて行った。

 ソ連軍戦車隊に追いまくられ辛酸をなめたことは多くを語るまい。故国日本に引き揚げてみた列島の惨状、とりわけ東京下町・深川の凄絶たるさまは筆舌に尽し難く、遠く隅田川を越えて日本橋は三越の廃墟が望見できたほどの焦土のさまはいまでも記憶に新しい。

 長ずるにおよんで平和運動(学生運動)に、思いは「生涯かけて平和を守る」。それからは一直線。


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さて K・Tさん
 
 あれから半世紀。われわれ下町・江東区で働く人、住む人は、憲法9条がいま累卵(るいらん)の危機に追いやられているだけに、この春以来、江東「9条の会」設立のため営々として努力を重ねてきたことは当然の成り行きだった。

 12月8日、江東「9条の会」設立前日になって、突然あなたから当日の講師キャンセルの申し出に唖然とした。「何故だ、なぜ、ナゼ」と抗論百出。収拾に手間取ったことは想像に難くないだろう。

 が、250人を集めて集会は大成功。焦土からよみがえったこの江東ならではのこと、ここに住み、働く住民の平和への願いは力強くも頼もしかった。いや、したたかでさえあった。


そこで K・Tさん
 
 「あなた方の会の進め方では運動の範囲を狭めることになるから出席できない」というのがあなたの「御託宣」(欠席の理由)のようである。護憲ひとすじを標榜され、著名な市民運動の論理はその程度かと暴言をはく所存はいささかもない。ただただ呆然とするばかりだ。

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 「9条の会」で呼びかけ人のひとり、故加藤周一氏は記者会見でこう言っている。「(われわれは)さまざまな運動を統一することを目指しているのではありません。従って全国的な組織を作ろうということなど全く考えていません」という一点で結びあおう。思想・心情の相違は問わない。会設立の趣旨はその方々の相互連絡をのお手伝いをすることだといっている。

最後に K・Tさん
 
 「9条の会」は上意下達を旨とする組織とはほど遠いものと理解していたが、何かイロがついていたら、その団体は排斥するのだろうか。これでは自己矛盾の典型。それよりもなによりも、江東のこの会は、下町に住み働く庶民の集いだから、あなたは二重の錯誤をしていることになる。
 

 250人が集ったこの設立の会を何とする。

【注】本稿は2004年12月30日に書いたものの要旨である。

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