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zoom RSS 無差別爆撃 日中集う?

<<   作成日時 : 2012/02/09 09:10   >>

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先に本ブログで「無差別爆撃 日独集う」「東京大空襲体験者がドレスデンへ」と書いた。この2月13日に日独の戦争被災者がドレスデンで一同に会し、追悼行事をおこなうという画期的なもので歓迎したい。そしてこのことはこれからの世論を喚起し、今後の日本の訴訟裁判にも寄与すると思われるからだ。

▼復旧なったドレスデン聖母教会
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   重慶で日中が交流集会を? 

 だが、今度は上記の見出しで「東京大空襲体験者が重慶へ」ともじってみたくなった。それは日独は言わずと知れた先の大戦では東西の両フアシストとして全域であらん限りの暴虐をつくした。被害国でありながら加害国の最たるものだったから病は同根だ。
 
 それでは中国で「集い」を開いたらどうか、日清・日露以来、一説では100年あまり、あの地中国に日本は君臨していた。加害国だった日本が重慶に行き、謝罪するとともに民衆同士が手を携え日本国に抗議する、そしてかの地で一定の「つどい」を催すことは極めて重要だし、訴訟に勝利する重要な鉾と思われる。すでに重慶訴訟の支援や日本の一部団体がかの地を訪れ交流を深めているようだが・・・。
 

   アメリカには折にふれ抗議すべきでは? 
 
 一方ネット上には次のような意見が少なからずみられる。「ドイツに行って『人間の鎖』などで手と手と繋いで互いの惨禍を語り合うことの意味はそれほど特筆大書すべきなのか?」「訴訟などで日本政府だけを断罪、諸要求付きつけるのは検討違いではないか?」「断罪するのは加害国・アメリカえはないか」などなど。既にサ条約などで日本はアメリカにすべての請求権を放棄していて、決着済みだが一般の感情は少し留意して対米関係との問題を絶えず指摘するのが好ましいと思われる。

追記】ここで「ドレスデン」と「重慶」の無差別爆撃を少し念頭においてこれからの諸問題にたいする一助とするために若干の解説をしておこう。 

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   ドイツの空襲
 
 東京大空襲・戦災資料センターのDVDブック「東京・ゲルニカ・重慶」によると、英国は1940年秋、ロンドンなどへの爆撃の報復として、首都ベルリンなどの空襲を開始。その後米軍も加わり、43年7月にはハンブルグを無差別爆撃した。45年2月13日〜15日には、ルネサンス以来の文化都市ドレスデンが3波にわたって空襲され、市街地は1週間近く燃えつづけた。破壊された聖母教会が2005年に再建された際、英国で集められた浄財で十字架と屋根が寄進され、和解のシンボルになっている。(東京新聞1月26日付)   
    
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   重慶の空襲
 
 1937年11月20日、南京の国民政府は重慶に首都を移し陪都(ばいぶ)=臨時首都としt。27万人ほどの地方都市だったが、政府や軍関係者や避難してきた人たちで100万人以上にもなったという。日本軍は1938年2月18日から重慶無差別爆撃を開始。そのすさまじさは次のとおり。

38年=3回、53機、65発、死者24人、負傷27人
39年=34回、865機、1897発、死者5247人、負傷4196人
40年=80回、4722機、10587発、死者4149人、負傷5411人
41年=81回、3497機、8893発、死者2448人、負傷4448人


 以後、太平洋戦争が始まり日本のせんりょくが南方に向かったため42年から空襲は減った。(日中友好新聞1月25日付)

【リンク】⇒http://38300902.at.webry.info/200902/article_17.html

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