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zoom RSS 東京大空襲を語り継ぐ集い詳報

<<   作成日時 : 2012/04/17 06:17   >>

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今年は「東京大空襲・戦災資料センター」開館10年。記念して開かれた「東京大空襲を語り継ぐつどい」の記念講演は、安斉育郎さん。演題は「1945年3月10日と2011年3月11日をつないでー平和と人権を語る」でした。

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 安斉育郎さん(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)は、「江東区の亀戸皇紀2600年(1940年・昭和15年)に9人兄弟の末っ子として生まれ。“育郎”と名づけられた。空襲を逃れた疎開先は福島県二本松だった。『国民総動員体制』の下で4人の兄たちは戦争に行った」と自己紹介をしながら、「太平洋戦争開始から東京大空襲へ、沖縄戦、広島、長崎への原爆投下、米ソの核開発競争、日本への原子力発電開発の背景には『国民総動員原発促進翼賛体制』があり、福島の原発事故へとつながっている」と太平洋戦争から年代を追って大変詳しく話されました。  

   原発にのめりこんだ背景 

 「日本が原子力発電にのめりこんでいった背景には、・アメリカの対日核エネルギー戦略が土台にあって、・政府・電力資本・官僚機構・原子力委員会など、・マスメデイア・地方自治体・原発推進住民組織の八角形の構造が原子力村である。
 仲好クラブを作って全く批判力のない、緊張感のない原子力開発体制が築かれていて崖っぷちに向かって走っていた車が、去年3月11日に崖から墜落したというに相違ない。

   
   問題はこの国の在り方に
 
 3月10日と3月11日の背後にある理由は何か。それはこの国の在り方です。戦争中は天皇を中心とする国の体制。これに歯向かう者は一切仲間にいれずに社会から放逐していった時代。そして戦後は3月11日原発事故に至る過程で原子力開発に関わる団体。日本の戦後の国体を決めているものは一つは日本国憲法、そして憲法の及ばないところに日米同盟がある。その結果として、国民が3月10日と3月11日の反人道的な体験を強いられることになった。
   
   主権者意識発揮してこそ
 
 口県上関原発建設に反対している祝島の農民が嘆いていた。この国の人々は社会のありようを決めるのは自分であるはずなのに、山選挙に行って投票することさえもしない。それでは国のありようが変わるはずも、原発がなくなるはずもない。
 戦後の保守政治がもっとも成功したのは、主権者意識を抜き取ったことだと思いますが、将来3月10日も3月11日も繰り返すことのないように憂慮することにします」。


追記】安斉郁郎君と早乙女勝元さん

 奇しくも安斉君は両国高校の8年後輩、生まれの1940(昭和15)年は皇紀2600年という。その時、僕は満州で「♪紀元は2600年」と旗行列をしていた小学2年生。9人兄弟も同じ。

 早乙女さんは1932(昭和7)年、3月26日生まれ、僕も偽満州帝国が始まった年の4月6日、あの地で生まれた。学年は一級上だが、友に傘寿を迎えたばかりの同年兵。
 

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