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zoom RSS 4月6日 沖縄戦と誕生日

<<   作成日時 : 2012/04/06 05:31   >>

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昭和20年4月1日、米軍が沖縄に上陸して以来、沖縄・南西諸島近海では空、海で死闘がくりひろげられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札、水上特攻として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。「満州っ子」が生まれた日も4月6日(昭和7年)。奇しくも同月同日が生死の別れ目だったとは・・・。

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   死んで行った仲間の代弁者として 
 
 「戦中派」の世代の生き残ったことで存在を認められるものではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたま死に損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き残ることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田 満の「戦艦大和の最後」の前書きに書かれているのを読んでひどく感動したことがある。

  あの年の4月6日 多くの若者たちが特攻死した
 
 不沈戦艦といわれた「大和」は6日呉軍港を出撃、乗員3332人もろとも翌7日、奄美大島東方海上で撃沈された。護衛駆逐艦「夕風」に乗り、海中に放り出された知人が、戦後事あるごとにその時の壮絶な様を語っていた。海上をさまようこと6時間、かろうじて救出された彼はその後情報の漏洩を防ぐため佐世保の某所に数週間隔離されていたという。この戦闘での生存者は記録によると276人だった。

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 6日はまた、この日だけで特攻機は陸海合わせて524機が出撃した。遺稿集・「雲ながるる果てに」に掲載されている「川柳合作」の作者、及川肇、遠山善雄両中尉も零戦に搭乗、奄美近辺での戦闘で還らぬ人になっている。

】「川柳合作」

・夕食は貴様にやると友は往き
・特攻へ新聞記者の美辞麗句
・記念品受けて従兵涙ぐみ
・特攻のまずい辞世を記者はほめ
・二十五で死んで若さを惜しがられ


  その日「満州っ子」は誕生パーティー
 
 この年国民学校を卒業した「満州っ子」は新京(現長春)中学に入学した、13歳だった。4月6日、誕生日と中学入学を記念して多数の友人を招いて誕生祝いを開いていた。そのとき日本の南方で先輩たちが苦闘を強いられていることなど少しも知らず、日本は必ず勝つとご馳走を前に笑いこけていた。前の年に兄貴が神風特攻で死んだことを、友人たちからもてはやされて「来年は俺も予科練にいく!」などと目を輝かせていた。その4ヶ月後のたどる在満日本人の行きつく先を少しも思わず・・・。
 今日、傘寿の誕生日を迎えた、戦後67年。自分のたどった軌跡をかえりみれば、曲節の連続だったが、言ってみれば「わが人生に悔いなし」だ。残された年、平和運動に携わって60年の初心を忘れず道半ばだが、「この道よりほかに行く道なし」と銘じよう。

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