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zoom RSS 「敷島の大和心を〜」関隊長の秘話

<<   作成日時 : 2012/05/07 13:08   >>

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「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜かな」,1780年5月7日、この日生まれた国学者・本居宣長の一首である。知る人ぞ知る、先の大戦で神風特攻の先陣を切った敷島隊ほか4隊のネーミングに使われた。これは敷島隊長・関行雄大尉の知られざる秘話である。

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   関行雄大尉激昂、拳が飛んだ
 
1945(昭和19)年10月25日、神風特別攻撃隊「敷島隊」がフイリピンの基地から飛び立ち還らなかった。その前日、その直援(突入機を護衛する)を命ぜられた零戦隊の隊員の一人に西沢広義飛行兵曹長(24)がいた。西沢は予科練出身で選りすぐりのパイロットで撃墜王(それまで87機撃墜)といわれていた。
 その日若い特攻隊員を前に西沢は軽い調子で言った「おれが来たからには心配ない。死地まで確実に送ってやるから安心しろ」。死が日常だった歴戦の雄・西沢だからこそ出た言葉だろう。
 しかし、この場ではきわめて非常な言葉になった。敷島隊は、当初、10月20日の特攻を予定していたが果たせず
(下記ブログ参照)、その後3回出撃していずれも米艦を発見できずに帰還していた。必ず来る死を待ちながら苦悶の5日間を過していたのである。

 
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 敷島隊の関行雄隊長はこの話を聞いて激昂した。「貴様、安心して死ねとはどういう意味だ」。直立した西沢の頬に拳が何度も飛んだ。頬をはらせた西沢は夕刻、関を訪ねて自分の軽率さをわびている。そして翌朝、敷島隊の直援として飛びたった。
 敷島隊の突撃を確認、自らは迎撃のグラマンを二機撃墜し、任務を果したという。しかし、翌日任務のため移動中フイリピンの空に散った。

 「送るも逝くも」みな同じ、当時の若者たちは他に選択肢のない運命を辿って行ったのである。


【リンク】http://38300902.at.webry.info/201105/article_13.html

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