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zoom RSS 空襲被害者の援護法案 橋本 誠

<<   作成日時 : 2012/05/22 09:38   >>

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東京大空襲訴訟の原告などを全国の空襲被害者を救援する援護法案の今国会提出を目指し、議員連盟が作業を急いでいる。よく耳にするのが「戦後67年もたって、なぜ、今」「財政難で難しい」という声。二つの疑問から救済について考えたい。(東京新聞・橋本誠記者ー2012・5・23日付)

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    救済は可能 知恵を絞ろう
 
 被害者の訴えの背景には、長い歴史がある。空襲した米国に対し、日本は戦後の独立の際、被害補償の請求権を放置した。欧州では人道主義から、軍人、民間人を問わず、自国民に補償したが、日本は空襲被害者を放置した。
 手足を失い、大やけどを負った痛み。親を失い、親戚をたらい回しされた寂しさ。「(軍人のように)補償は受けているんでしょ」と言われたときの悔しさ。被害を公認しない行政の扱いは、そうした苦しみを増幅した。

 名古屋空襲訴訟の一審判決(1980年)は、原告敗訴ながら「国ができる限り広範囲に援護措置を講じることが望まれる」と指摘した。しかし89年までに14回提出された戦時災害援護法案はすべて廃案に。女性や子どもが多く、仕事や生活に追われ、旧軍人や引き揚げ者のような組織的な運動ができなかった。人生の終番、「死ぬに死にきれない」と起こしたのが、2007年の大空襲訴訟だ。

 先の大戦で亡くなった軍人・軍属は約230万人で、国は遺族や障害者に総額約50兆円を支出してきた。これに対し、空襲の死者は約50数万人とされ、生存している遺族は年々減っている。政府は補償の拡大を恐れ、「国との雇用関係がない」といった理由で軍・民に線を引いてきたが、原爆や沖縄戦の被害者にも不十分だが援護制度がつくられ、現に運用されてきた。名古屋市では10年、見舞金制度ができた。

 それに大空襲訴訟は、軍人と全く同じ補償まで求めているわけではない。戦後67年たった今日の視点から、ずっと放置されたことへの慰謝料を求めているのだ。「死者の名前や数すら分らず、国立の追悼碑も資料館もない。ないない尽し」(星野弘原告団長)の状態に抗議し、名誉回復を求める意味が強い。今回の援護法案も弔慰金や実態調査などの救済策からなり、検討は可能ではないか。

 問われていいるのは、戦中の後始末を先延ばしにしてきた国のあり方だ。4月の東京高裁は一審に続いて「立法を通じて解決」と促したが、原告団は既に11人が死去。このまま何もせず、姿を消すのを待つのが、私たちの社会正義なのだろうか。

 国会は衆院解散がささやかれ先が見えないが、世代交代が進み、ここ数年でも中国残留孤児やシベリア抑留の救済を進めた実績がある。議論を始め、救済に向け知恵を絞るべきだ。

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