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zoom RSS 仰天! 日中友好新聞に零戦が

<<   作成日時 : 2012/07/06 09:36   >>

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日中友好新聞、7月5日号をみて驚いた。5面に「中国この日」というコラムに7月6日は、ゼロ戦が試験飛行を行った日として書かれている。そして同機が中国侵略のために作られた戦闘機であるとして忘れてはいけないと結んでいる。しかし同機が大戦末期に特攻機として多くの学徒兵と共に消え去った事は一言もない。全文を引用しよう。

▼学徒兵が〇戦に搭乗、突っ込んでいった
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       <中国 この日>
       零戦(ぜろせん)

 
 73年前の1939年のこの日、日本海軍が零戦(零式艦上戦闘機)の初の試験飛行を行った。零戦はアジア太平洋戦争初期に戦闘機能、航続力、運動性能で「世界最強の戦闘機」と言われ、第2次世界大戦期の戦闘機として喧伝されている。しかし、零戦は37年に開発着手、40年7月に初めて実戦に出動、同年9月に重慶上空で2倍のソ連製中国軍戦闘機27機全期を撃墜し軍用機としての優秀性が証明され、敗戦までに1万425機が生産された。事実は、日本の中国侵略のために開発された中国侵略戦争で戦闘機として評価された兵器である。戦艦と並ぶ日本の最新兵器が中国侵略のために開発された歴史を忘れてはならない。(佐)

【追記】先ず前半部分に付け加えよう。零戦の実戦出動は1940(昭和15)年ではあるが、ここで問題にしたいのは零戦の命名の由来である。40年は昭和15年だが、当時は紀元2600年(神武天皇即位から)といって皇道の栄を国民に押し付けた。零戦はその〇年を記念して〇戦と命名した。軍部は三菱重工に命じて2600年に間に合うように厳命したという。それも近い将来の対米戦を意識して製造されたものだという。
 記事にあるように中国侵略の」ために開発されたものではない。語幣があるかも知れないがたまさかあの理不尽な重慶無差別空爆に援護機として出動したのである。この戦闘機は航空母艦から発着する艦上機であり、陸上戦のためのものではない。

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 それよりもなによりも、初戦でこそ優秀機として太平洋上に君臨していたが、大戦末期には米軍機に立ちうち出来ず、多くの零戦が撃墜されて行った。とりわけ特攻隊の専用機として学徒出陣の若者が零戦とともに南の雲の果てに逝った。
 だから「中国侵略のために開発された」というフレーズは言い当ててないばかりか、死んで行った若者にたいしての冒瀆である。真に日中の友好を図るのなら文言は正確に、ご追従的、教条的言辞は避けるべきである
 なお、これは蛇足だが兄は神風特別攻撃隊の一員として昭和19年、この〇戦に搭乗して21歳で戦死した。一年に一回は九段の上に展示してある〇戦に触れて反戦の意を強くしている


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