満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 空襲訴訟の勝敗 一喜一憂しない

<<   作成日時 : 2013/01/17 15:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

大阪空襲控訴審の判決は想定内の結論だ。あの戦争が肌にしみこまされていない、戦争の何たるかも知らない、年端もいかない裁判官に戦争を裁く資格などあろうはずもないと、端から思っていただけに当然の帰結であった。

画像
 ここでかの難関の司法試験を突破したエリートたちに四の五の言うつもりはさらさらないし、勇気もない。この頃の司法界にあって欲得なしで、困難を承知の上で敢然と戦争被害者によりそって、ともに権力に立ち向かっている弁護士たちを、数は少ないが多くを知っているからだ。
 惜しまれて亡くなった、9条の会の呼びかけ人で「知の巨人」とも言われた加藤周一氏の言葉を思い起こす。もう10年前のことだった。京都大学の学生のまえでこう講演した。「この頃はあの頃(昭和のひと桁時代)に類似してきた。@国権の最高機関に平和・良信派が少なくなったA労働組合が壊滅の一途を辿ったBメディアが徐々に権力に寄り添うようになったC司法がどこかの顔色を窺うようになった市民運動が衰退していった。しかし、今は、この部門だけが最後の砦になっているが・・・」


画像
 傘寿を超えた戦争体験者、旧満州から命からがらで帰還した私。あの惨憺たる状況を踏まえて思うことはただひとつ。繰り返してはならない、あの人類の愚鈍な行為。「戦争はやらない」。そのためにはやれる範囲でのすべての術(すべ)にトライすることだ。
 空襲訴訟も一つの手段であって、最終目的ではないことを銘記すべきだ。訴訟の勝敗は目的のための一里塚に他ならない。東京で敗訴、そして大阪でも敗訴、行きつく先の「東京裁判上告書」の帰結も知れている。一喜一憂することなく、事の次第は人類の目指す永遠の課題である。
 死んだ森光子さんが「9条の問題」を問われた時の答えは、簡単明瞭だったという。「戦争はしない、次の世代にこの悪行は残してはならない」と。戦争被害者の平均年齢は81歳という。もう後がないといわれるが、まだ生きている。
 われわれの世代、この言葉はあまり使いたくないが、「悠久の使命」を達成するための権利と義務、そしてその権利を縦横に駆使していくための資格をもっている。それはこれまで、たゆまず、ひるまず、ひたむきにたたかってきたからだ。だから悠々としているわけにはいかない。言ってみれば我々は幸せな時代に生まれてきたのだ。
 さあ、これからが本番だ! やることは山ほど残っている。(永井至正

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
空襲訴訟の勝敗 一喜一憂しない 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる