
私の住んでいた深川の清砂アパートは20年3月10日の空襲で全焼し、私はからくも生き残ったが、一時は死んだのウワサがとんで、友人の川俣代議士が安否をたずねに来たことがある。・・・・・・つくづく生きてよかったと思い、これからはいわば余録の命だと心に決めた。そしてこの余録の命を今後の日本のために投げださねばと。
浅沼稲次郎 (「東京大空襲・戦災誌 第4巻」)
◆東京大空襲を記録する会
戦後は、衆議院議員。1960年3月には日本社会党の委員長として活躍するも、同年10月12日、日比谷公会堂での立会演説会壇上で、右翼少年・山口二矢によって刺殺された。
浅沼氏が居住していた清砂アパート(旧深川区白河4丁目)
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