あのとき歌った この歌 -3-

弥生3月は「別れの月」。そして卯月4月は「出会いの月」。誰しもが回想するのは、子どものころ卒業式に何を歌ったかでしょう。昨年の3月、しんぶん「赤旗」の「家庭欄に寄せられた、静岡県の田中眞理子さんの卒業式に寄せる思いがよみがえる。

▼「仰げば尊し」は「スコットランド民謡」だったから・・・
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    「二度といや」 卒業式でこの歌
 
 1943(昭和18)年3月、私は和歌山市高松国民学校6年生を卒業しました。「仰げば尊し」は敵性語(歌)だということで「海行かば」を歌って卒業しました。
     海行かば     大友家持 詞
 海行かば 水漬(みずく)く屍(かばね)
 山行かば 草むす屍
 大君の辺にこそ 死なめ
 顧みはせじ


 私的に現代語になおすと、海を行けば水に漬かる屍になる。山を行けば草の生える屍になる。そして天皇のおそばで死のう、わが身を振り返ることはない。
 この次の年(昭和19年)12月、父に召集令状がきました。私は女学校1年でした。
 父はフイリピン・ルソン島で戦死。隣接部隊の方の話によると、父の舞台は全滅。山中での餓死だったそうです。草むす屍になったのです。この道はぜったい、いやです。


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     前略 田中眞理子様
 
 ぼく(「満州っ子」)が国民学校を卒業したのは戦争の最終年・1945(昭和20)年3月。ところは旧満州(現中国東北部)の公主嶺という街でした。卒業式で歌ったのはやはり『海ゆかば』と校歌です。軍国少年だったぼくが、仲間とともに校長に直談判、「もうこれから誰にも会えなくなるかもしれないから『海行かば』を歌わせてください」、との願いが認められたのです。
 その時の校長の顔が思い出されます。少し間をおいて、ぼくたちを見据えるようにして、「いいだろうと」と一言。前の年、兄が特攻隊で戦死(フイリピン)したことが校長の頭をよぎったのかもしれません。今にして振り返れば恐ろしくも辛い時代。田中さんと思いは同じです。
永井至正拝

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