
帰りすがら駅までの道々は、シャンソンンの話で持ちっきり。聞けば、十年前に亡くなった夫君・小名愰平氏(享年83)が日ごろ口ずさんでいたのが「巴里の屋根の下」だったとか。
小名愰平元陸軍大尉の戦歴が痛恨のドラマです。ノモンハン(昭和14年)で、九死に一生の境をさまよい、中国は北支、南支を転戦。殺し、殺され、部下を何人亡くしたか数えきれないといいます。
戦後、復員したのが昭和22年。七年間大陸を彷徨していた彼は、あの地でのことは固く口を閉ざしたまま逝きました。没後、葬儀に参列した部下たちは異口同音に退却の名人といい、名部隊長と涙しました。
故郷、青森の八戸で結ばれた小名夫妻。上京後の彼は持って生まれた才能を発揮、平和運動の理論家・リーダーに。没後十年。表札はそのまま、自宅の仏前には常に旬の生花が飾られ、レコーダーからはときおり、シャンソンが語りかけるようです。
【リンク】 Sous les toits de paris
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_8d45.html
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