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zoom RSS 澤地久枝さんのミッドウェー

<<   作成日時 : 2013/06/05 08:09   >>

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1942年6月5日〜7日は先の太平洋戦争で日本の海軍が壊滅した日である。しかも開戦(前年12月)以来6カ月のこと。太平洋のど真中・ミッドウェーで連合艦隊の空母が4隻が撃沈された。戦死者数は日本、3057人、アメリカ、362人の若者が死んだ。

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   澤地久枝さんの「滄海(うみ)よ眠れ」を読む
 
 作家の澤地久枝さんが著書・「滄海よ眠れ」に書いた。それまで誰もがなしえなかった、長い年月をかけて日米の戦死者遺族を一人ひとりを訪ねて確認、遠くはアメリカまで探し訊ねて、徹底的に戦没した若者に思いをはせてその「来し方」を調べ上げたものといわれている。
 ぼくが本書を手にしたのは、ほぼ30年前のことであった。当時病床にあった僕。瞬きするのももどかしいほど上下二巻のこの大冊を読み耽った。澤地さんが僕と同じように旧満州から引き揚げてきたという親近感からだけではなかった。あの戦争で死んで行った日米の若者たちの「存在感」を確かめるための執念にも似た思いに共感、驚きを感じたからである。


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 本書は繰り返し読む本ではない。そこにあるだけでよい。書棚にあるだけで光彩を放っているのだ。二つ年上の彼女が「9条の会」の呼びかけ人になった所以もそこにあり、今も続いているのだ。(永井至正

【注】 ミッドウエー海戦 

 太平洋上の空母から飛び立った日本海軍の雷撃機、戦闘機は攻撃後、帰路に就くが、着艦しようにも母艦(加賀、赤城、飛龍、蒼竜)はすべて撃沈され、見当たらず着艦できず、海上に突入して行った。その結果、300余人の熟練した歴戦のパイロットを失った海軍は、現場指揮官の不足を補うべく学徒を動員することになった。即席指揮官として養成、彼らはほどなく特攻隊として死地に飛び立つ悲劇のはじまりだった。21歳で戦死した兄もその一人だった。

 なお、大本営は「わが方の損害は空母一隻沈没。一隻大破」などと報道するのみ、その真相は、国民には知らされずじまいだった。

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