あのとき歌った この歌 -26-

それは2005年12月。江東区の高齢者集会が佐藤真子さんを招いてコンサートをひらきました。そのはじめの語りがこうでした。「それでは、みなさんご存じの方もいらっしゃると思いますが、私の大先輩の淡谷のり子さんの「別れのブルース」です。

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    <別れのブルース> 昭和12年

窓を開ければ港が見える
メリケン波止場の 灯が見える
夜風 潮風 恋風のせて
今日の出船は どこえ行く
むせぶ心よ はかなき恋よ
踊るブルースの せつなさよ


 淡谷のり子さんが(戦争中)慰問に行ったとき、それは特攻隊の方々のところ。「別れのブルース」は、もうその当時は歌ってはいけないという歌でした。しかし、特攻隊の青年たちから「別れのブルース」をうたってほしいといわれ、そして、淡谷のり子さんは歌うんです。

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 しかし、淡谷のり子さんが歌っている間に青年たちは一人立ち、敬礼をして去っていく。また一人立ち、敬礼をして去っていく。
 そして帰らぬ人となったのです。淡谷のり子さんは、あんな悲しい想いをしたことはありまえん、と(この歌を)歌う前にはいつもそういっていたと言います。

 (前奏のなかでささやくように、語りかけるように)

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      <別れのブルース>を聞いて

涙と感動につつまれる 
 「別れのブルース」で始まった佐藤真子さんのピアノの弾き語り。きれいなのびやかな声、平和の尊さを訴えるト-クに会場は酔いしれ、涙と感動につつまれました。(S60代男)
心にしみる語り口 
 「別れのブルース」の前奏のなか、、特攻隊の青年たちの仕草が、佐藤さんの淡々とした語りでしのばれて、こらえきれないほどの悲しみを味わいました。(Y50代女)
◆頭よぎったブルース 
 佐藤真子さんの名前は知っていたけど、初めて生の歌を聞いて、感嘆した。とりわけブルースの調べが頭をよぎって、当日の夜は眠りに入れなかった。あのしたたかな淡谷のり子が戦争中、そんな想いを若者に寄せていたとはしらなかった。(H70代男)


【リンク】
 http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-wakare-no-blues.html
 http://nagai-yoshi.jp/sato_masako.html

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