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zoom RSS 東京空襲の記憶伝えて 遺族会

<<   作成日時 : 2014/02/05 06:02   >>

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東京都知事選も終盤をむかえている。東京は先の大戦の大空襲で大きな惨禍を受けた。しかし、同じように悲惨な状態になった沖縄、長崎、広島には記念碑、祈念館などが整っているが、東京では見当たらない。今回の都知事選に向けて東京大空襲遺族団は各候補に『空襲被災者の追悼と継承のための施設を」との質問状を出した。その顛末を東京新聞が昨日(4日)の朝刊社会面で大きく報じている

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     平和祈念館計画 賛否を問う 
 
 「戦争体験者の経験や思いを後世に伝えてほしい」。東京大空襲の被災者らが切実な思いで東京都知事選の論戦に耳を傾けている。東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する都平和記念館(仮称)計画は15年間、棚ざらしとなったままだ。「戦後70年を前に、すこしでも前進させたい」との思いが、高齢の被災者らを駆り立てる。(奥野 斐)

     戦争を記録することの議論を

 東京空襲犠牲者遺族会(墨田区)は今回初めて、候補者に公開質問状を贈った。平和祈念館への賛否など五点を尋ねている。

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 「人が人として扱われないのが戦争。せめて、生きた証を残したい」。会長の星野弘さん(写真左=83)は話す。1945年3月10日未明の大空襲のときには中学2年生。伯父と伯母を亡くした。一夜で焦土と化した街の道端で、折り重なるように倒れる人々。遺体の収容を手伝い、亡がらが物のように穴に落とされる光景を何度も見た。
 約10万5千人の犠牲者の遺骨は、大部分は身元が特定できぬまま、関東大震災の納骨施設として造られた都異例堂(墨田区)に同居している。
 家族の申請などで、都の犠牲者名簿に名前が載っているのは8万人足らず。平和祈念館は98年に予算案に盛り込まれたものの展示内容をめぐって都議会が紛糾。財政難もあって凍結された。

 遺族会副会長の榎本喜久治さん(写真右=79)、空襲当時は愛知県に疎開していた。江東区亀戸に残り、空襲の中を生き延びた父や祖母らから惨状を直接聞くことはなかった。
 「戦争のことは口にしたくもないという人が大勢いる。だからこそ、話してくれた人の体験談や資料は貴重」。しかし、祈念館建設に向けて都が購入したりした資料約5千点の多くは、都庭園美術館(港区)の倉庫に眠ったままだ。
 質問状は、主要候補に送付したが、返ってきたのは3人で、うち2人は「答えられない」などの内容だった。「今の暮らしについては論点となっているが、その礎となっているのは平和。平和を守っていくためにも、戦争を記録することも議論してほしい」。星野さんは願っている。


追記】赤字部分の詳細が知りたいものです。なお、昨年の都議選前に本ブログは同様の記事を掲載いていますのでご参照ください。
 http://38300902.at.webry.info/201306/article_30.html

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