「海ゆかば」歌った卒業式 そして

弥生3月は「別れの月」。そして卯月4月は「出会いの月」。誰しもが回想するのは、子どものころの卒業式で何を歌ったかでしょう。僕が小学校(当時は国民学校)を卒業したのは、あの戦争の最終年、1945(昭和20)年の3月でした。

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       歌ったのは「校歌」と「海ゆかば」

 ところは旧満州(現中国東北部・吉林省)の公主嶺という小さな町でした。その卒業式で歌ったのは、「校歌」はともかく、なんと驚くなかれ「海ゆかば」だったのです。
 「海ゆかば」といえば、知る人ぞ知る、戦争も末期、南方戦線などで日本軍が玉砕(全滅)したときにラジオ放送の初めに流される歌。
 
海ゆかば 水漬く屍
山ゆかば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ

 
 天皇のおそばで死のう、わが身を振り返ることはない、という歌詞だった。あの頃、軍国少年だった僕たちが、仲間と連れ立って校長室に押しかけ直談判。「卒業すれば、もうこれから誰にも会えなくなるかもしれないから『海ゆかば』を歌わせてください」との懇願が認められたのです。。その時の校長の顔が思い出されます。ちょっと目を閉じて間をおいて僕たちを見渡すようにして「分かった」と一言。前年の暮れ、僕の兄が特攻隊の一員として戦死したことが校長の頭をよぎったのかもしれません。思えば恐ろしくも辛く、悲しい時代でした。そして今、あれから70年近く、似たような気配がただよう世相。繰り返しては成りません。


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【注】昭和18年、米英音楽追放令が出て、「蛍の光」「庭の千草」など約1000曲が追放された。公主嶺では19年3月の36回生の卒業式では「蛍の光」「仰げば尊し」を歌ったが、20年3月の37回生(僕たち)の卒業式ではこれらを歌わず、「海ゆかば」と校歌をうたった。(満洲「公主嶺 過ぎし40年の記録=1987年発行 伊藤聖、土屋洸子さん等が編集= 398ページから) 


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