▼ある集いでの早乙女勝元さん=永井至正撮影

大空襲で残されたもの 早乙女勝元
東京大空襲といえば早乙女勝元。早乙女勝元といえば東京大空襲。1932年生まれで僕とは同年。大空襲を軸に平和を希求して60年。その彼を1960年代の後半から追い続けてきたから僕は、消息通ならずとも「ファン」の一人と自認してい。
さて、今回の投稿。少年時、東京大空襲の生家近辺での体験記である。凄惨なさまを淡々と描写しながら、最後にこう結んでいる。「米軍爆撃機B29の無差別爆撃で、下町地区は全滅に近く、一夜にして百万人が罹災し、10万人が死んで、私は生き残った。戦禍に生命を絶たれた多くの友の、声なき声を受け継いでいかなければならないと思う」。


【注】
左 東京新聞3月15日付「ミラー」。右 僕が05年3月、江東区の年金者組合に提供した資料。江東区役所前に建立された母子像の由来を書いたもの。
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