
まさに「伝説の左腕」だった嶋がこうして現代によみがえったのは非常に意義深い。その剛球はもちろんだが、短くはかない青春であった無念を思う。野球はもちろん、愛する者たちと過ごす、その先の人生すべてが南海の海に沈んでいった。命や平和の尊さを訴える存在でもあると考えている。
西本幸雄「戦没の名投手嶋清一の野球殿堂入りに際して」
「しんぶん赤旗」2008年1月3日)
1960年、大毎(大映と毎日が合併)の監督でリーグ優勝するがオーナーと対立。63年、阪急ブレーブスの監督になり五度リーグ優勝、近鉄で二度、20年間の監督生活で八度のリーグ優勝を果たしながら、一度も日本一になれず「悲劇の名将」もいわれる。
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