満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 沖縄で戦死した 海軍飛行学生 D

<<   作成日時 : 2014/04/14 06:58   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

海軍には零戦という艦上戦闘機があった。開戦当初は名機としてもてはやされたが、大戦末期は特攻機として使用され、250キロで爆装して若者の多くが南方で、沖縄で突っ込んでいった。名機どころか悲しい末路をたどっていったのである。熊倉中尉もその一人であった。

画像
熊倉高敬中尉
 専修大学 熊本県出身 神風特別攻撃隊第二筑波隊、昭和20年4月14日南西諸島において戦死。23歳。搭乗機零戦。

 4月10日、今日こそ出撃と、朝早くから待機する。もう、此の日記を書く暇もない。之で筆を置く。誰の手を経てか届くことであらうが、俺の父母にも宜しくお伝へ願ひたい。必ず今日の出撃には土産を得る事と信ずる。大きな空母でも土産に』あの世で楽しもう。
 4月12日、午前10時。さらば
 皆々様の幸福を祈る


http://38300902.at.webry.info/201007/article_22.html

零戦】昭和(1940)年、紀元2600年の「〇(ゼロ)」をとって海軍の正式機に採用された名称。昭和14年に三菱重工名古屋製作所で造られ、中国戦線(重慶爆撃の援護機)に出動した。当初は運動性能の良さで他の戦闘機の追随を許さなかったが、大戦末期では・・・。

追記http://38300902.at.webry.info/201207/article_9.html

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 D 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる