
それは単なる前奏にしかすぎなかった。本が焼かれるところでは、最後に人間が焼かれるのだ。
ハインリッヒ・ハイネ「焚書記念碑文」
(ミカ・ウルマン図書館焚書記念碑)
1933年5月10日、ナチ学生が何百もの自由な著作家、ジャーナリスト、哲学者などの作品を焼却した。図書館広場に建立された焚書記念碑のこのハイネの碑文は帝国主義と戦争に反対する永遠の警告。
【今日の出来事】1933年ナチスによる「焚書」 1967年ベトナム戦犯国際法廷で米国に有罪判決 1987年帝銀事件平沢貞道死刑囚獄死(享年95)
「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月10日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。百キロ南の生家・公主嶺に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
当時、満鉄・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。五兄(利則)は神風特攻でフィリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、20歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「だれのためでもない。俺は行く、行くしかないんだ。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。子どもから大人になって、「戦争はさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を、次の世代に語り,つづり、歌で伝えたい。
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