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zoom RSS 「日本の空襲」 【A−TO−Z】 B

<<   作成日時 : 2014/05/23 06:25   >>

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「日本の空襲」の3回目。本土初空襲の模様を「最初は開戦4ヵ月後に来襲」の見出しで書き始めている。「米軍が日本の本土を初めて空襲したのは、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃による日米開戦から、わずか4カ月後のことだった」。(東京新聞ー「日本の空襲から」)

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【最初は】
1942(昭和17)年4月18日、米陸軍のドーリットル中佐率いるB25爆撃機16機が、千葉県・犬吠埼沖1150キロ地点の空母「ホーネット」から出撃した。攻撃目標は、東京、神奈川、名古屋、神戸の各地点にあった軍事施設や石油工場、発電所で、多くの民間人を含む120人が犠牲になった。 
 爆撃機は正午ごろ日本上空に侵入し、全国で計60発の爆弾と焼夷弾を投下、機銃掃射も行った。最も大きな被害を受けたのは東京で、初弾は、東京都荒川区東尾久の住宅街を直撃した。このことから、本土初空襲を「尾久初空襲」と呼ぶこともある。


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 これを皮切りに、新宿区、品川区、葛飾区などが狙われ、子どもを含む40人が死亡した。このほか、神奈川では28人、埼玉は12人、名古屋は5人、神戸は1人が死亡。栃木や新潟、千葉、三重、和歌山でも空襲があったが死者は出ず、全国で462人が重軽傷を負い、住宅など165軒が全半焼した。
 米軍は、空母を守るため偵察機や巡視艇を待機させた。日本側は戦時徴用した13隻の民間船で対抗したが、ほとんど一方的に攻撃され、乗組員33人が死亡、23人が重軽傷を負った。
 攻撃を終えた爆撃機は日本列島を横断して、中国に飛び去ったが、16機全てが着陸できずに大破。米軍操縦士1人が死亡し、8人が日本側の捕虜になった。


 大本営は「損害はいずれも軽微」と発表し、迎撃に失敗していたのに「9機撃墜」などと成果を誇張した。新聞も「我が猛撃に敵機逃亡」などと報じ、被害の深刻さや相手戦力に冷静に向き合うことはしなかった。

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