▼関東甲信「高齢者集会」

さまざまな想いが甦ってきたのです。ちょうど70年前の1944(昭和19)年12月15日、フイリピンのレイテ湾に神風特別攻撃隊の一員(学徒出陣)として突っ込んでいった当時21歳の兄・神島利則の生前の愛唱歌が、淡谷のり子歌う「別れのブルース」でした。
アメリカとたたかう奴が「メリケン歌う」と自らを揶揄しながらもギター片手に低音でささやくように歌っていたものです。
今にして思えば、彼は『別れ』という言葉に取りつかれていたようです。太平洋戦争も末期、自分の行きつく定めをよきしていたのでしょうか。その頃(昭和15年)売れ出しはじめた、かのマドロス歌手・田畑義夫のデビュー二作目「別れ舟」もしきりに歌っていました。
【リンク】満州っ子と「別れのブルース」
http://38300902.at.webry.info/201006/article_7.html
この記事へのコメント