土屋洸子さん 満州を想う 完

土屋洸子さんが「子どもの本棚」(1986年8月号)に書いた満洲に関連する書評の第4弾。表題は「スンガリー川の姉妹」(和田 登文 こさか しげる絵)だが、「満州と子どもたち」とでもいえる総論にもなっている。
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 今までに11次に及ぶ訪日調査や帰国後の問題などが、マスコミで報道されるから、中国残留日本人孤児については、人びとによく知られるようになってきた。また自費出版を含め、多くの関連する本が発行され、子どもの本でも『妹』『ぼく日本人なの?』『日本のお米』『あの空をとべたら』『ほんとはネ、いじめっ子じゃないよ』『八月の最終列車』などがある。

 この本は、4人の子どもをつれて中国東北部(満洲)に渡り、夫と末っ子を失い、1人を現地において帰国した母親の話をもとに、昭和46年11月末から翌年1月まで、信濃毎日新聞に連載されたものを、加筆しまとめた本である。



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 41年、日中友好協会のはからいで、長野県引揚者16人が中国に渡り、その1人(本書の母親)がわが娘と再会できた(墓標なき八万の死者 角田房子著 中央文庫)。早い時期に再会したとはいえ、親の告白はどんなにつらいことであろう。本書となるまで40年、戦後がまだ続く思いがする(養父母扶養費、データベースが今年やっと解決した)。

 戦争が孤児を生んだというが、昭和6年9月の柳条湖鉄道爆破事件以来、7年の第一次移民団入植、11年の100万個500万人農業移民移住計画と実施、13年の満蒙開拓青少年義勇隊発足と続き、20年6月、関東軍が「全満洲の4分の3を放棄し、新京を頂点に朝鮮国境を底辺とする三角地帯を確保する」作戦を決定、8月を迎える10数年間にわたり、孤児を生む条件が醸成されたのである。


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 この国と個人の事情を見すえた視点をもたない限り、個人的体験記となりがちだが、『悲しみの砦』『キムの十字架』『想い出のアン』などの著者は、日本人が忘れがちな、また知り得ない立場の人びとの姿や行動を、透徹した視野をもって描き出している。1アール当たり綿服上下一着分程度の買い上げ金で、土地を取り上げ、屯懇病(トンコン)は略奪、暴行をほしいままにしたから、日本人への憎悪はすさまじいはずであった。
 しかし日本人難民は現地の人たちに助けられる。「早く逃げよというチョウさん」(55頁)「子どもを養育するサイさん、ミョウさん」(64頁)「雪中の母子を救うスーさん」(79頁)に象徴される温かな人の姿は、わたしたちに、人間とは、と問いかけてくる。そして、「地の石」(110頁)を、一人ひとりがしっかりと持ちたいものだ。 

 いじめ、ことば、進学、就職・・・・・・と、帰国孤児のかかえる問題が山積みする今、早く本書を、と思う。 (土屋洸子)



 

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