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zoom RSS 親から子へ平和のバトン 早乙女勝元

<<   作成日時 : 2014/08/22 10:45   >>

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1944年8月22日、米潜水艦に撃沈された対馬(つしま)丸は学童疎開船で、800人近い学童が船と運命をともにしたかろうじて生き延びた7人の証言を元にした『海に沈んだ対馬丸ー子どもたちの沖縄戦』(岩波ジュニア新書)が出た。本を手にした方は、とっさに私の本かと錯覚したようだが、娘(愛)の著書である。(早乙女勝元)

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        早乙女 愛著『海に沈んだ対馬丸』によせて
 
 幼少のころからー家で戦跡めぐり

 戦争という自覚もない年齢で大海に投げ出された7人の中には、イカダで6日間も漂流した子もいる。かれらはどのように生き抜いて、その体験をどう位置づけてきたのか、娘の視点は私に似て、あくまでも小さい者や弱い者に寄りそって。といって、親父(おやじ)が協力したわえではない。すべては娘の独力で、「駆けながら書いた一冊」と、あとがきにある。

 わが家には3人の子どもがいる。輝(き)、民(たみ)、愛(あい)で、一番下の娘は73年生まれ。かれらが幼少のころから、一家で戦跡めぐりを続けてきた。愛が初めて沖縄に行ったのは3歳。家においてもいけないのでそうなったが、あまり記憶がないという。次いで東京大空襲の被災地に、広島、長崎へ。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪れた時は小3だった。
 一同が小学生になってから、海外の旅に誓約書をとった。一人10枚の提出である。そうすれば、よく見てよく聞いて、よく考えるだろうし、自主的な思考にも結びつくだろう、と。多くのリポートが残されているが、子どもが体でとらえた感性は豊かだった。娘は高校生になると、もついてこなくなったが、「幼い時は、親に強制連行されて・・・」などと語っては、聴く人を笑わせているらしい。
 彼女はドイツに留学し、その後中米コスタリカを舞台にドキュメンタリー映画「軍隊をすてた国」を制作。沖縄で結婚し、仕事と子育てに追われている。


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 幼いものたちの声なき声の継承
 
 東京大空襲もそうだが、戦禍の被害者たちは、その辛酸をきわめた体験を、戦後の生き方や生活にどう生かし思想化してきたのかが、今、問われているような気がする。誰もかも平和のバトンを手渡すべき未来世代だからだ。「知っているなら伝えよう、知らないなら学ぼう」と、私は訴えてきたが、一般的に親から子へのバトンタッチは、決して容易なことではない。
 戦争体験者は高齢化している残り時間が少なくなった時を待ち構えていたように、「いつかきた道」への暗雲が、ジワジワと迫ってきた。娘の著書は、海の底に沈んだままの幼い者たちの声なき声の継承であり、追体験の一冊ともいえる。我が家では同時に思いがけない不幸に襲われた。
 うちのカミさんこと早乙女直枝が、6月27日、出先で倒れ急逝、68歳だった。娘の本を読みかけだったので、お棺に入れてやったが、あの世で読み続けているのでは・・・。心配するな、あなたのひたすらな平和の願いは子らが受け継いでいくから、といってあげたい。


追記】本稿は08年7月にしんぶん「赤旗」に掲載されたもの。あれからもう6年、文中の「『いつかきた道』への暗雲がジワジワと迫ってきた」の文言は、「いまや加速的に危機迫り、もう戦時下・・・」とでも変換しなければならない世相になってきている。次の世代に伝えること、急がなければ。

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内 容 ニックネーム/日時
もはや戦時中、同感です。
右傾化ではなく戦傾化をキーワードとして広めましょう。
朝日新聞の声欄へのご投稿、読みました。
否 戦傾化
2014/10/24 10:50

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