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zoom RSS 大空襲被災者 墨田の榎本喜久治さん

<<   作成日時 : 2014/08/03 07:52   >>

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東京新聞の8月1日夕刊の一面左肩に、東京空襲遺族会の副会長・榎本喜久治さんの記事が大きく掲載され、目を見張った。彼は都立両国高校の後輩、彼の兄上は同校のハンドボール部で一緒した仲、旧知の間柄であったばかりでなく、ここ数年来、東京大空襲訴訟関連のブログ記事を書く際、大変お世話になっているからだ。奥野斐記者の署名入り記事を紹介しよう。

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    反戦 折り込む 「平和かえる」 「原発さる」
 
 「戦争さる」「平和かえる」−。太平洋戦争末期の東京大空襲で家を失った東京都墨田区の榎本喜久治さん(80)はこの夏、折り紙で作ったサルとカエルに言葉を添えて、出会った人に配っている。「声高には訴えたくない。折り紙とともに、さりげなく思いを伝えられたら」と話す。

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 榎本さん、1945年3月10日未明の東京大空襲で、江東区亀戸の自宅を焼かれた。自身は愛知県上野町(現東海市)に疎開して無事だった。東京に残っていた父や祖母ら4人は家を焼け出された壮絶な体験の中で生き延びたからか、戦後、家族の会話で戦争にふれたことはなかった。
 東京に戻り、大学の仲間らと戦争について話す中で、榎本さんは「空襲経験を伝えることが一生のテーマだ」と意識した。小学校教諭になってからも、体験や思いを自分なりに教え子に伝えてきた。


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 折り紙は30代のころからの趣味。カエルは約30年前から、子どもや友人に贈ってきた。年配の女性に「財布に入れている」と喜ばれたり、集会で配りたいという市民団体に100個まとめて渡したりした。
 サルは92年、日本政府が自衛隊の海外派遣を認める「PKO協力法」を制定した年がさる年だったことから思い付いた。小猿を抱く母猿を「子どもの命と未来を守る」と書いた紙に貼り、脇に憲法九条の条文を入れた。「少し強いメッセージを伝えたくてね」。しかし、政治色が強かったからか反応は良くなく、配るのはやめていた。
 今年、政府が集団的自衛権行使容認へと動く中で、「黙ってはいられない」と再びサルを折り始めた。この間、東京電力福島第一原発の事故や垂直離着陸輸送機オスプレイお飛来など、平和を揺るがす出来事が増え、折り紙にそえる言葉に「原発さる」も加えた。
 東京空襲犠牲者遺族会の副会長を務める。7月12日に空襲遺族らが集まった会合でサルを配り、「おもしろい」「広げるべきだ」と好評だった。「皮肉だが、20年前より平和を意識せざるをえない状況になっている」。危機感を覚えた。
 8月は、戦争体験者や遺族が集まる機会も多い。いつでも手渡せるよう、折ったカエルとサル、材料の折り紙をかばんに入れて持ち歩く。「地位さんことでも一人ひとりが意思を示すことが大事。私の場合はしゃれを交えてね」
 


写真】江東区の高齢者集会で「つどい」の司会を務める、中央右榎本喜久治さん

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