
父はニューギニアで戦死
鈴木八千代
昨年の秋、東京新聞の紙面に釘づけになりました。そこには、旧日本軍兵士の遺骨 ニューギニア島の密林に野ざらし、と大きな見出しがありました。
旧厚生省は、戦後20余年の時点で、遺骨の収集は「終了」としていたが、60年を経た今も遺骨が野ざらしにされたままだったのです。
私の心の隅にいつもある島、ニューギニアは、日本から5千キロも離れた遠い南の島です。私の父は、1943(昭和18)年、その島で戦死したと聞かされています。父は、生まれたわが子の顔も見ることも、抱くことも出来ず戦死しました。

白木の箱に入っていた 紙切れ1枚
戦死の公報1枚が白木の箱に入って家族の元に届いたが、だれも信じられなくて、〃部隊で帰国した方を、栃木まで訪ねたそうです。戦士は間違いではなくその方は、小石を渡してくれたそうです。父の墓には、その小石が入っていると聞いています。
いまだ116万人の遺骨が収集されていないことを知り、首相が靖国にこだわっているが、風雨にさらされ朽ちるままの遺骨の回収にこそ力を注ぐのが先だと思うのです。遊就館を見学して強く思いました。

「餓死した英霊たち」
アジア・太平洋戦争で日本の軍人の死者は、『名誉の戦死』だと思っている人も多いでしょう。しかし、大半は「飢え死に」なのです。いや、性格にいえば「餓死」と飢餓的状況のなかで死んでいった「病死」などを含めているのです。215万の戦没者のうち、なんと140万前後だと推計しています。
そして、その飢え死にの最大の原因は、補給=兵站(へいたん)のひどい軽視だった。いわゆる「名誉の戦死」といわれている人たちが、実は「的」の弾丸でなくて、自国の無謀な作戦によって殺されていたのだという事実に慄然とします。
【注】本稿は2010年8月10日に本ブログに掲載したものに若干の加筆をしました。
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