神風特攻の第一陣は10月25日でない

昭和の戦争史(70年前のことともなれば、太平洋戦争はもう歴史の範疇に入る)をひもとけば、あの神風特別攻撃隊の第一陣は1944(昭和19)年10月25日の関行雄大尉率いる敷島隊とされ、大本営もそう発表、軍神としてあがめられたが実情はそうでなかった。

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    第一陣は海兵出身でなければ
 
 敷島隊がフイリピンのマバラカット基地を飛びたったのは10月21日。それ以来同隊は、3度出撃したが索敵不能で引き返してきた。左写真(ニュース映画で当時大々的に上映されていた)はいつの日のものか判明しないが、25日4度目の離陸寸前、基地の司令官は関大尉に「もう帰ってくるな」と言い放ったという。 
 海軍飛行予備学生誌によると既に24日には大和隊の久能中尉がレイテ沖に突っ込んでいたという。軍司令部は軍神の第一号はどうしても海軍兵学校出身者でなければ面目が立たないということで、発表を遅らせ、前出の「帰ってくるな」という命令になったのだという。
 年功序列、キャリア優先は今の日本でも通用、軍国日本は死に行くものにも順位をつけたという恐るべき慣わしになっていたのである。


【注】「敷島の大和心を人問わば 朝日ににおう 山桜かな」といえば、知る人ぞ知る本居宣長の一首。太平洋戦争の末期、1944年10月、神風特別攻撃隊の先陣を切った4隊のネーミングに使われた短歌。敷島、大和、朝日、山桜という美名に若者たちはあおられるように死地に。なお、私の兄は12月15日、フイリピンのセブ基地を飛び立ち帰らなかった。神風特別攻撃隊第7金剛隊、神島利則海軍中尉(21歳)。

特攻1号は海兵出身でないhttp://38300902.at.webry.info/200910/article_23.html

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