
弟妹託され先に帰国
公主嶺第2大隊第○中隊。そして氏名。この名札を胸につけると、引き揚げ者と公認されたことになる。昭和21年7月22日。第一次引き揚げの開始された日である。それまでに何度も引き揚げの命令が出ては取り消され、半信半疑になっていた。
そのころ大人たちの心にあったのは、望郷の思いのみであったろう。会話も内地の話や将来への希望的観測に限られ、内地が焼け野原で住む家もないのでは、親戚が迎えてくれるだろうかという不安を押し殺していた。そして帰国が現実のものになった。
所持金は一人千円。貴金属は一切没収という厳命。その鉄則は最後の引き揚げ船まで貫かれる。リュックに手荷物の難民の群れが駅に集結。だが、この日は私にとっては父母との別れの日でもあった。病床の母と看護のために残る父から、二人の弟妹の責任を持たされた私は、この日から強くなった。

炎熱の貨車、錦県の収容所へ向かう白く長い道、馬小屋のアンペラの臭い・・・・・・そしてコロ島の港に横付けされたLST。マストにひるがえる日の丸をこれほど美しいと感じたことは、その後一度もない。幸い、父母とは三カ月後、再会を果たした。(「満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」から)
●右写真 2013年10月21日、「公主嶺会」での井本稔さん。
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