「満洲・公主嶺」苦難の引揚げ 井本稔さん

終戦時の在満日本人は170万人といわれている。あの年に日本に帰国できた人はごく僅か。厳しい冬を住む所も食べ物もなく、死んでいったのは24万5千人という。ほとんどの人は翌年コロ島から引き揚げ船で苦難の帰国を果たした。その中に幼い弟妹を引き連れていた12歳の少年・井本稔さんが健気(けなげ)だった。

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          弟妹託され先に帰国
 
 公主嶺第2大隊第○中隊。そして氏名。この名札を胸につけると、引き揚げ者と公認されたことになる。昭和21年7月22日。第一次引き揚げの開始された日である。それまでに何度も引き揚げの命令が出ては取り消され、半信半疑になっていた。
 そのころ大人たちの心にあったのは、望郷の思いのみであったろう。会話も内地の話や将来への希望的観測に限られ、内地が焼け野原で住む家もないのでは、親戚が迎えてくれるだろうかという不安を押し殺していた。そして帰国が現実のものになった。
 所持金は一人千円。貴金属は一切没収という厳命。その鉄則は最後の引き揚げ船まで貫かれる。リュックに手荷物の難民の群れが駅に集結。だが、この日は私にとっては父母との別れの日でもあった。病床の母と看護のために残る父から、二人の弟妹の責任を持たされた私は、この日から強くなった。

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 炎熱の貨車、錦県の収容所へ向かう白く長い道、馬小屋のアンペラの臭い・・・・・・そしてコロ島の港に横付けされたLST。マストにひるがえる日の丸をこれほど美しいと感じたことは、その後一度もない。幸い、父母とは三カ月後、再会を果たした。(「満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」から)


●右写真 2013年10月21日、「公主嶺会」での井本稔さん。

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