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zoom RSS あれから70年 特攻死した兄をしのぶ

<<   作成日時 : 2014/12/16 06:44   >>

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昭和62年に旧満州 公主嶺小学校の同窓会が発刊した「満州 公主嶺過ぎし40年」という記念誌がある。そのなかには特別に紙面が割かれ、少年時代の同窓生が書いた兄・神島利則への追悼文が2篇掲載されている。いずれも友の死を悲しみ、追憶の言葉で刻まれている。

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      豪快に生きた神島君  

 敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知を受けた。「ヤッタカ!」。走馬灯のように在りし日々が思い出され、当夜は一睡もできなかった。
 彼とは小学校1年から6年まで、一緒に育った親友だった。駅の東、泰平橋を渡って鮫島通り左側に彼の家、トミヤ洋品店があり、そばの公園でよく遊んだものである。彼もまた菊池町のわが家に来てくれた記憶も浮かんでくる。

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 新京一中時代も豪快な少年であった。小柄だったが、気性は激しく、確か柔道部の黒帯だったと思う。硬派でスタイリストのたえか、数人の上級生ににらまれ、鉄拳制裁をうけ、顔面変形しながらも、翌朝堂々と登校し、制裁を加えた連中の前に立って、目をむきだしたときは、驚き、あきれた。
 昭和17年夏、新宿の街角で、羽織袴に高下駄、腰に手拭の拓大スタイルの彼と出会った。物資不足の折柄、盃を重ねることもなく別れたが、豪快な態度が、いまもなお脳裏にに焼き付いている。(小佐井 守=同期生)


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       神島利則君をしのぶ
 
 昭和20年4月、私は特別幹部候補生として千葉の騎兵学校に在学中、病気のため千葉陸軍病院に入院、そこで『とんちゃん』こと神島利則君が神風特攻隊の一員として戦死したことを知った。
 同じ公主嶺に生まれ育ち、小学校まで共に過ごした。私とは全く対照的な性格の持ち主でったが、何となく気があって、よく一緒に行動した。
 彼は新京一中へと進み、汽車通学をしていた。小柄ではあったが、からだ一杯にあふれるような精気に満ちていて、その独特な身構えが実に見事であった。その生き方も憎めない暴れん坊といった調子であった。


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 中学4年の終わりごろ、その大暴れが原因となって、中学を退校処分となる騒ぎとなった。彼は教室に机、椅子を積み重ねて抵抗した。私は単身、中学に乗り込んで説得した。学校側おの話し合いで、彼は中学4年終了の資格で拓大の3年生予科の一年に入学した。昭和15年の春のことであった。(三村 勉=同期生)

】写真説明→上から公主嶺小学校、公主嶺鮫島通り(左手前がトミヤ洋品店)、新京一中、公主嶺農事試験場

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