出陣学徒慰霊碑「平和来る像」 慶応・三田

「東京民報」が「戦後70年ー不戦・平和のアート」と題してシリーズで連載している読み物コラムがいい。11回を数えるが、とりわけ今回は慶応・三田キャンパスの「平和来る像」を取り上げているだけに極めて懐かしく印象深い。それは慶応が我が母校であるからだけではない。

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       学徒出陣戦没者を偲ぶ
 
 太平洋戦争末期の1943年、戦局の悪化と兵力不足から大学にも学徒出陣が発せられ、10月21日の雨の中、明治神宮外苑競技場で文部省学校報告団主催の出陣学徒壮行会が挙行された。大戦中、13万人い及ぶ学徒が戦場に送られ、特別攻撃隊員として敵艦に突入して自爆した戦死者は、陸軍1388人、海軍2527人と記録されている。      

       慶応・三田に「平和来る像」 
 
 港区三田の慶応義塾大学の東門を上がった左手の小庭園に「平和来る像」(57年設置)が建ってる。明治から昭和にかけ、裸像や「墓守」、猫の彫刻などで知られる具象彫刻家、朝倉文夫(1883~1964)の作品。若々しい青年の姿をした出陣学徒慰霊の像は還らぬ尊い命をしのび、新しい平和の時代の未来を担うべき学生を励まし、見つめている

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    「きけわだつみのこえ」と上原良司 

 日本戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)で、「所感」という題名のの遺書が巻頭に掲載されている。長野県出身の上原良司が出撃前夜、陸軍報道班員の求めで実家へ託したもの。上原あ、慶大予科を経て43年に経済学部へ入学し、12月、松本歩兵50連隊に入隊した。45年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として、鹿児島の知覧から特攻機に搭乗し、沖縄の嘉手納沖の米軍機動部隊に突入、戦死している。22歳だった。

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 上原は「所感」で次のようにのべている。「操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子にすぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考えれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本いおいてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。(日本戦没学生の手記より)
 43年、慶大では3千余人が出陣し、塾関係の戦死者2223人、学徒出陣戦没者は385人を数える。上原家は二男の良司と兄弟3人全員が戦死している。


【注】下2枚の資料は05年12月に私が作成しファイルに保存していたもの。

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