「私の戦後70年」 東京新聞ー発言①

戦後70年。東京新聞は2月から毎月第4金曜日の「発言欄」に「私の戦後70年」として読者からの投稿を募り、掲載することになったようです。その手始めとして、この23、24日の両日「特集」を組みました。計12本の中から江東区の中村梅吉さん(85)、最年少の中学生、柳沢君(13)のものを紹介します。

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      反省なき国家 考えなおすとき
         中村 梅吉(85)(東京江東区


 私は昭和4年、東京・京橋生まれ、小学校から軍国教育で対米開戦が小学6年、敗戦(終戦という言い方に私は反対だ)が旧制中学3年生。東京の戦争は全部体験し、敗戦の詔勅は訓練用の歩兵銃を陸軍に返納するために行った連隊で聞いた。
 気の抜けた半年後、軍国少年は負けたのが悔しい。どうして負けたのか。関係ありそうな本は手当たり次第に読んだ。それは「どうしてあんなバカな戦争を」という疑問になり、軍隊の上層部、政治家、ジャーナリズム、国民の全てに責任があると思い至った。
 罪の一番重いのは参謀本部の若い参謀たち。それを通した上官や政治家、戦争をあおった報道関係。責任を取った人はまれだ。そして、知らない、知ろうとしなかった国民の順か・・・。
 これが分かるまで60年かかった。問題は、あれだけの犠牲を払いながら現在、今後に役立てようとしないことである。有権者の半分が棄権してできた現政権は、国民の負託を得たと勘違いをしている。何とかしなけりゃならないのは今であるのに。


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 「原爆で犠牲回避」間違い
   柳沢 純(13) (東京都西東京市)

 
 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月6日、広島に原爆を投下した米爆撃機B29エノラ・ゲイの搭乗者12人の最後の生存者、セオドア・バンカークさんが昨年7月、93歳で亡くなった。
 バンカークさんは回顧録で、原爆投下について「核兵器は二度と使われてはならない」と強調する一方で、「日米双方の犠牲を最小限に抑え、戦争を終結させた」と評価している。
 しかし、僕はそうは思わない。なぜなら、僕は「はだしのゲン」という戦争マンガを何度も読み、原爆投下の悲惨さを知っているからだ。
 そこに描かれているのは、皮膚がたれさがっている人、家に押しつぶされて、助けてくれ、と叫ぶ姿など想像を絶するものばかりだった。このようなことがあったのに多くの命を救ったとはいえないと思う。
 世界中の人々がこのような悲しい体験をしないように、戦争はすべきではない。そして、いかなる理由があったにせよ原爆投下は間違いであったと、僕は思う。

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