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zoom RSS 戦後70年 「平和の俳句」 東京大空襲を詠む

<<   作成日時 : 2015/03/11 06:54   >>

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太平洋戦争末期の1945年3月10日未明、米軍が東京の下町一帯を襲った「東京大空襲」から間もなく70年。本紙が募集している「平和の俳句」にも、壮絶な体験を詠んだものが数多く寄せられています。奇跡的に生き残った女性の句と平和にかける想いを紹介します。(東京新聞・3月6日付)

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   酷(むご)き死体跨(また)ぎ歩きし三月十日 

 真っ暗闇の中、河川敷を埋め尽した人々の上に焼夷弾が落ちるのを無言で見ているしかなかった。東京と江戸川区の旧中川に架かる平井橋の下で、宮根千枝さん(82)=東京都調布市=は九死に一生を得た「まさに地獄。生き残ったことが奇跡だった」
 向島区(現墨田区)内にあった第一吾嬬(あづま)国民学校の六年生。集団疎開先の茨城県から卒業式おために2月27日、自宅に戻った。登下校のたび機銃掃射に遭い、茨城との違いに驚いた。(中略)




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 空が白み始めると、おびただしい数の遺体が目に飛び込んできた。「みんな死んでいた。行き」場がなかったんだもの」。一人また一人と、またいで家にたどり着いた。
 戦後、家族で大空襲の話をしたことはない。
 「酸鼻(さんび)極まる状態を思いだしたくなかったのでしょう。でも戦争のつらさは黙っていたら分からない」。自身は小学校教諭として、体験や平和の大切さを語り続けてきた。
 いま、政治が戦争に向かって進んでいるようだ、と危機感を抱く。「大人が起こした戦争で、子どもが不幸になる。憲法九条をなくすことは絶対許さない」(小林佳奈

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