
病のため長期入院の後、やや不自由な体を鼓舞しながらたどり着いた鎌倉。瀟洒な小ホールの一隅に席をとっての一時間余り。つづけらえる清々しい歌声に聞きほれていたが、とりわけ鎌倉で聞く「十二の雄々しき~」の歌詞には、はるか昔の小学校の音楽教室に、引きこまれたような思いで、懐かしさに酔わされ、癒されていた。
うつくしいメロディーと心にしみる歌詞の魅力は、100年の月日を経た今も色あせていない:神奈川県鎌倉の七里ケ浜沖で12人が乗ったボートが沈んだのは、1世紀前の1010(明治43)年1月23日。10歳から21歳の12人が亡くなり、11人が逗子開成中学の生徒だった。米国の作曲家ジェレミー・インガルスの曲に、鎌倉女学校(当時)の教師三角錫子が歌詞をつけた。戦前は松原操の歌でヒットし、映画にもなっている。

眞白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力つきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ガ浜
欧林洞→
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