戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -32-

東京新聞の毎日掲載「平和の俳句」も32週目に入った。敗戦記念日が近づくに連れ作品のトーンも迫真迫るものになってきた。例にによるトップの「私が選ぶー平和の俳句」(伊藤美津子作)はテレビでお馴染み立川志の輔さんに登場願おう。

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       「平和とは坂に置かれたがガラス玉」 

 】みんなが大事にし、大切に思っているけれど、いつ壊れるのか分からない。それが平和。平和ぼけして争っているうちに、その大事なものが今にも坂を転がり出そうとしている様子が目に浮かぶ句です。
 「シャーロット」と名付けられた猿のことが世界の一大事のように報道されたり、繰り返し流れるダイエットのCMを見たりすると、思わず「平和だな」とつぶやく。平和なんだから今の状態のままでいいという人と、平和のために変えなくちゃという人があれこれ議論をしているのを聞きながら「あれっ? 」でも、平和だから議論ができるんだな」って飢餓ついたりして。
 折に触れ思います。平和の時しか知らない私が、本当に平和が分かっているのかなって。世界中で今日も多くの人が命を落としています。そんな中、平和とは、憲法とは、という言葉や映像が毎日、紙面や画面に踊り続けています。昭和29(1954)年生まれの私は、今のこの平和が永遠に湯づくことを、絶対に戦争が起きないことを、ひたすら願うしかありません。
 ひとたび有事が起これば、文化や演芸は真っ先に縮小されます。平和があってこその文化や伝統です。独演会などで、皆さんの笑い声が
聞こえることが何より平和の証です。この句は、この平和が決して坂の上から転がり落ちることのないよう、憲法とともに守っていくことの大切さをあらためて目覚めさせてくれます。(落語家 立川志の輔=聞き手 沢井秀和)


沢村投手をなぜに死なせた遠蛙 津田 正義(76) 茨城県鹿嶋市 2015・8・2

】<金子兜太>沢村投手は球界の宝と言える名投手だった。「いくたびも除隊になりながら」と作者は付記する。戦争の無情残酷を知れ。

さくらんぼ誰のものでもなき平和 岡田 良子(679 三重県亀山市 2015・8・3

】<いとうせいこう>その果実が小さく輝くのは奪い合っていないからだ。奪い合って食べるならば、その果実は甘いだろうが輝きに気づけない。

入道雲静かな葦も立ちにける 棚瀬 史恵(35) 岐阜県各務原市 2015・8・4

】<金子兜太>「静かな葦」は平和を愛し戦争に反対の人々。その声を大事に。 <いとうせいこう。その夏の大きな雲の前で、私たちは考える葦である。しなやかに立つ。

もう渡るまい大東亜といふ虹の橋 並木 孝信(81) 神奈川県厚木市 2015・8・5

】<金子兜太>「大東亜共栄圏」という美称のもとに戦争に駆り出されたことを忘れはしないぞ。集団的自衛権の行使が残酷な戦死を伴うことも。

トーストの焦げ削り食ふ原爆忌 若林 卓宣(66) 津市 2015・8・6

】<いとうせいこう>その焦げで思い至る悲劇。そのリアリティを胃におさめて誓う不戦。むろん原爆忌。そのリアリティーを胃におさめて誓う不戦。むろん原爆忌のみならず、度々その思いに貫かれるのだろう。

叢雲(むらくも)や戦後七十年の戦前 中内 亮玄(40) 福井市 2015・8・7

】<いとうせいこう>この叢雲がこれ以上おおきくならないよう、戦後の我々は戦後にいたい。 <金子兜太。 「15年戦争」のときの暗い雲が、いままた日本列島の空を覆うている。

亡き祖父母と戦争反対デモに行く 川口 史代(32) 東京都台東区 2015・8・8

】<金子兜太>亡き祖父母は今次大戦の悲惨を知る人たち。反戦デモにも一緒に行く。 <いとうせいこう>歩いてるのは生者だけではない。お遍路のように死者や仏が共にある。

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