「仔羊たちの戦場」 ソ満国境 新京1中生 続

「安達君が下痢をしていて、歩けなくなった。ソ連兵が『早く歩け』と怒鳴る。(私は体の具合が悪くて)背負ってやることができない。『一緒に死んでやるから』と肩へ手を回して励ましたんです」。(読売新聞・1988年9月4日付「編集手帳」)

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▼4日前の東京での「仔羊たちの戦場」(谷口佶著)の出版記念会で、旧満州・新京1中の教え子たちを前に斉藤喜好さんが、そういう趣旨のあいさつをした。昭和20年夏、斉藤さんは生徒隊を引率してソ満国境からの逃避行を続けていた。40歳を過ぎていた▼すさまじいばかりの飢えと病気と敗戦下の地獄絵図--そのことは先月7日付でもこの欄に書いたが「安達少年」は発疹チフスを併発、昏睡状態に陥ったまま東満の野戦病院で亡くなっている。14年余の生涯だった▼谷口さんのいう、カゲロウのようなはかない命だった。その死を、斉藤さんは本を手にして初めて知ったという。教え子たちと話されて「18歳以上」の斉藤さんは、ソ連軍の「使役」要員として連行されてしまったからだ。その時以来、先生の消息はぷっつり絶えてしまう▼「記録を書きとめておく、それを(私が)やるべきだった。が、食うに精一杯だった。それが、今度読んでみて、やっと私は一種のやすらぎを覚えた」。斉藤さんは、続けて「教師の責任とは、こんなにも重いなかと・・・・・・。だが、もっと深い愛情があって死んでやることができていたら」とも言った▼43年ぶりに姿を見せてくれた恩師の話に、白髪が目立つ。”生徒”たちが耳を傾ける。先生に、もう”身を隠す歳月”はないだろう。

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