戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -31-

年初来、このブログに掲載してから31回目になる「平和の俳句」。今回のトップ掲載の1句は東京・武蔵野市の小学4年生の「一人の手何もできない可愛い手」だ。愛知県で開かれた「平和を願う市民典」に紹介されたのを契機に祖父との交流があり、平和への思いが受け継がれた、という話だ。

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 小桜さんは毎朝、自宅の郵便受けに東京新聞を取りに行き、一面に掲載される平和の俳句に目を通すという。
 福島第一原発事故後、母親に連れられて参加した国会前での反原発デモで何千もの人が抗議する姿を思い起こし、「戦争も一人ではなくすことはできないけど、たくさんの人が手をつなげば、できるかもしれないと思った」と詠んだ
 句は3月に、東京新聞と中日新聞にも掲載sれ、市民展の主催団体メンバーの目に留まった。戦争に関わる絵手紙や風刺漫画とともに会場に展示されることになった。
 祖父の花井さんは太平洋戦争の開戦当時、小桜さんと同じ9歳。兵士を万歳で戦地に送り出し、旧制中学二年のときには学徒動員で工作機械メーカーで手りゅう弾などを製造した。今回の俳句作りをきっかけに、小桜さんに戦争体験を話したという。
 市民展を見た小桜さんは「食べ物が少なかったり、空襲におびえたりしながら暮らすのは大変。家族が死んじゃうかもしれないのは怖い」と平和の尊さを実感した様子。花井さんは「それぞれが感じる違和感を、民意を結集させて示すことは大切だと、あらためて思った」とかたった。


老鶯の平和欣求(ごんぐ)の声ならん 久保 善信(69) 三重件伊賀市 2015・7・26

】<金子兜太>老鶯は繁殖のため夏の山に上がってきて鳴いている鶯。老いてはいないが声はゆっくりしていて、山全体を平和な気分にする。

母の死は臀部爆創焼夷弾 串田 弘(88) 三重県度会町 2015・7・27

】<いとうせいこう>大阪市で空襲に遭い、焼夷弾によって三日後に亡くなったそうだ。自身は赤道直下で収容され、半年間の食糧不足。この経験を無駄にすまじ。

デモの誘い真面目に読む日が来るなんて 金井柚季奈(21) 東京都板橋区 2015・7・28

】<いとうせいこう>これこそがリアルな一句だろう。現実と出会い、若者の生き方が変わった。 <金子兜太>21歳の作者には、反戦平和のデモなど考えられなかったのに。

自由とは平和なればの選択肢 奥宮 教生(67) 浜松市北区 2015・7・29

】<金子兜太>平和でなければ自由は訪れない。戦争のない世の中で、自由に暮らすことが一番幸せ。この句の率直な言い方も自由で明るい。

遺(や)っつける話ばかりや蝿叩き 米谷 隆 石川県小松市 2015・7・30

】<いとうせいこう>勇壮な話ばかりする人たち。まさか「遺っつけられない」と思っている人たち。個人のうっぷんを国家で晴らそうとするひとたち。そこに蝿叩き。

老いてなほ非戦のバッヂ炎天下 中野恵美子(66) 埼玉県狭山市 2015・7・31

】<金子兜太>「非戦」のバッヂをつけて、炎天下颯爽と歩いていた老婦人よ。 <いとうせいこう。そのバッヂで「駅前広場」をを歩く老婦人がいたという。私も着けて歩きたい。

戦いなきこの空が好き達磨市 伊藤 君子(86) 埼玉県加須市 2015・8・1

】<いとうせいこう>達磨市での一句。すべての行事をここに代入して平和の俳句に。 <金子兜太>作者の町の達磨市は何十年とつづき、2月1日。平和だから空はいつも明るい。

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