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zoom RSS 2015年 「公主嶺会」での点描 その@

<<   作成日時 : 2015/10/23 06:18   >>

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待ちに待った今年の「公主嶺会」。集った人総勢35人の年齢は77から87歳だが皆かくしゃくとしている。かつては同じ小学校で少年・少女だった同窓生たち。右隣の席が奇しくも姉と同期の則次美弥子さん。話が弾むうちに手渡されたのが以下のような敗戦時の苦難の手記。それはこの6月30日付けの日中友好協会・岡山市支部の機関紙「岡山と中国」に掲載されたものという。

▼35回生の則次さん=16日公主嶺会で
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      女学生の私にも「青酸カリ」一包     
          則次美弥子さん(84)=岡山市
 
 
 戦争末期の満州は無政府状態だった。軍隊町だった公主嶺の各種部隊は既に撤退。その上、8月9日ソ連軍参戦以降は不穏な空気に一気につつまれた。
 私達はこれが最後だという帰国列車に乗ったが、正午の重大放送を家で聞くように言われて下車。玉音放送は雑音に消されながら敗戦を告げるものだった。
 その後、町に入ったソ連軍の物欲と色欲、中国の八路軍と国府軍の内戦に私達は逃げ回った。加えて中国暴民による略奪が既に空き家の軍官舎から始まり、私達は町の中心部にある酒造大倉庫に集結した。
 父達日本人会の代表団は、昼は町の様子を見守り、中国人民政府の関係者や土地の有力者に話をして回っていた。婦女子には、まさかの時にと渡された物は青酸カリの一包。女学校3年生の私には重すぎた。

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 引き揚げ後、敗戦に係わる本を読み漁り、混沌を極めた当時を少しは理解することができた。
 時は流れ生まれ育った公主嶺を訪れた。一回目は涙の対面。町の様子は昔のままだった。幼友達やその家族、クーニャンは「美弥ちゃんの所で又働きたいよ」。私達は抱き合って泣いた。
 二回目は歓びの再会。友人達が親族と共に多勢迎えてくれた。乾杯!。日本語の達者な人は文革時代は大変だったという。
 三回目は納得の旅。町の様相は一変。その躍進ぶりに中国の逞しさと人海戦術の凄さを改めて思い知らされた。
 タクシーで郊外を回った。日本人墓地跡にお参りし、騎兵隊に守られて遠足に行った公主廟も遠望でき、広大な風景にも出会い、心洗われて旅は終わった。

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 満蒙開拓平和記念館が昨年長野県に設立された。
 十冊に近い本を一気に読破。筆舌に尽くし難い辛苦を忖度し感激。語るのに70年に近い歳月を必要とし、長期にわたる収録だった。国の政策だったとはいえ悲しい終末だ。
 戦争を知らないものが尊い生命を粗末にする。どこかで歯車が噛み合わないまま動こうとする不安。
 「教え子を再び戦場へ送るな」。これは私が属する会の信条であり、私の信念でもある。

リンク】則次美弥子さん 関連ブログ
 http://38300902.at.webry.info/201509/article_19.html 

■則次美弥子さんの写真をもう一枚 右端。左へ村上孝子、次女前田直子さん。
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岡山と中国
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