満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 伊藤 聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子

<<   作成日時 : 2015/12/09 07:15   >>

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

満洲の公主嶺という町の記録誌等(三部作)の作成を主宰した伊藤 聖さんが、この10月28日に逝かれた。訃報に接して編集の補佐役を務めてきた一人土屋洸子さんが、彼の無類の業績と三部作が上梓されるまでの苦難の作業経過・裏話を溢れる思いで追憶する。

画像
   公主嶺に縁のある方々へ
     伊藤 聖さんのこと  土屋洸子
 

 今年も訃報が届く時期になった。11月27日、ポストを開けたら、息ができなくなった。伊藤 聖(さとし)さんが10月28日に旅立たれたことを知らせる、幸子夫人からの葉書だった。「公主嶺の大黒柱を失った」と膝ががくがくして、歩けなかった。


@:会報「公主嶺」と「会報の合本」について

 昭和45(1970)年6月20日、伊藤さんは、「公主嶺」と題する公主嶺小学校第33回生クラス会報を作り、同窓生に配布を始めた。30号まで伊藤さんが費用を負担していたが、63(1988)年12月、31号から公主嶺小学校同窓会会報として同窓会から費用を出すことになった
画像
 平成20(2008)年3月の53号が最終号となったが、その後、21(2009)年8月に1号から53号まで合本にした。合本が出来て驚いた。記事や写真などのレイアウトが、1冊の本を開いた時に、左右の頁に見事な配置で収まっていた。多目に印刷し、50部は保存しておくようにと伊藤さんから言われていたが、いずれ合本にする予定だったのだ。
】上写真 公小同窓会 会報51号(2006年3月31日発行)。第12回総会で挨拶する伊藤 聖さん。

▼伊藤 聖さん(2001年11月21日写す)
画像
A:『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録(昭和62年11月発行、創立80周年記念誌)
 
 昭和61(1986)年10月11日、公主嶺小学校第5回同窓会が開かれ、その席上で、来年が創立80年になることを記念して公主嶺の本を作ることが提案された。各学年から1、2名の委員が出て、編集に当たることになった。同窓会から2週間後の10月26日、教職員と14回生から40回生の編集委員26名が上野ターミナルホテルに集まった。 
画像
 




 この第1回編集会議で、伊藤さんから「本のページだて、コストの検討、編集方針、原稿募集の依頼」などが提案された。
 実は、同窓会が開かれる前に、伊藤さんは山口寅蔵・倉垣利男先生から、記念誌制作を懇願されていた。「気の遠くなるような困難が予想されるため、引き受けるのを渋っていた伊藤さんに、これまで会報に載せたものを中心にまとめてみたら、と説得してみたが、賛成は得られず・・・」と山口先生は会報(昭和63年3月31日)に述懐している。
】伊藤 聖さんの顔写真は同期(33回生)の戸井義衛さんからの提供。

■記念誌については、会報27号(昭和62年6月25日)に、私が「編集会議あれこれ」と題して、当時の編集の様子を書いている
画像
(1)方針:公主嶺小学校同窓誌によって、自分たちの育った町、学んだ小学校の記録を、明治30年代後期に公主嶺の町ができてから、最後の同窓生が引き揚げた昭和23年までをまとめる。(注:小学校の創立は明治40年、日本人の最後の引き揚げは昭和28年だった)
(2)体裁:本は『公主嶺ー過ぎし日の記録 公主嶺小学校の創立80周年記念誌』(注:書名は『満洲公主嶺ー過ぎし40年の記録』となった) 


(3)構成:ほぼ5年ごとに区切って10章にし、各章は、小学校と町の全体を述べた正史と、それにまつわるエピソード(外史)で構成する。(注:第1章は公主嶺という町、2〜9章は明治40年〜昭和16年を5年ごとに、第10章は、昭和20年〜とした)
(4)エピソード:章によってばらつきがあるが、各章20、30編ほど集まった。1編が23字×21行で、1頁に上下2編が入る。制限された字数なので、執筆された方の貴重な思い出が生かせるよう、リライトをお願いする作業が続いている。(注:1編が23字×21行、9文字の見出し、約300編集まり、2〜5回のリライトを行った。とくに、事柄のおきた日時や係わった人の氏名の正確さに心がけた) 
画像
(5)正史:編集委員が分担して執筆中で、編集会議(右写真)で読み合わせ、関係の方にも見ていただいている。(注:1〜8章は伊藤さんが執筆した。土屋が担当した昭和16年〜の第9章、20年以後の第10章を伊藤さんに提出したとき「自分は昭和16年の公主嶺にいなかったから、君が書きなさい」と言われた。伊藤さんの文体と同じような文体で記述すること、文末の言葉が文頭にこないように前後の文章を配慮すること、1頁内に同じ言葉を使わないこと、「一太郎」で出稿する、などと伊藤さんから指導された)

▼1年間ともにした編集委員
画像 
B:「索引」について

 さらに、ほとんどの原稿がそろったとき、伊藤さんが「索引」を作ると提案された。担当は私(土屋)。どのように索引を作るのか、だれも教えてくれない。名刺ほどの紙片を造り、第1章の1行目から言葉を書き写し、頁数を書く。紙片は5千枚になっただろうか。同じ言葉の紙片が数枚たまったら、最初の1枚の頁数の後に、あとの頁数を書き足して1枚にまとめる。アイウエオ順にし、同じ発音の漢字の順番は、漢和辞典の順番を参考にして並び替えた。伊藤さんが索引の原稿を検討して取捨選択し、12頁にした。編集委員と有志が、索引と本文の頁を確認する作業も行った。
 「国会図書館月報」(1988年8月号)に、「(前略)12頁に及ぶ参考文献を付し、この種の本には珍しく詳細な索引をを有していることも本書の価値を高めていると言えよう。(後略)」とあり、「索引を付けよう」との伊藤さんの提案は、正しかった。


画像
C:『公主嶺市街図』について 
 
 記念誌には『公主嶺市街図 昭和10年〜20年頃』が添付されている。この地図の作成は、金窪敏知さん(34回生、前国土地理院院長)。日本国際地図学会(昭和63年8月4日)に、「記憶復元地図の作成ー旧満洲公主嶺市街図)と題して、地図の作製経過について発表し、反響を呼んだ。市街地図を添付することも、伊藤さんの発案だった。


画像
   公主嶺に心血を注がれた伊藤さん
      ありがとうございました

 
 公主嶺は、人に恵まれた。文章の達人で編集の専門家の伊藤 聖さんがいたから、公主嶺の記録を次の世代に残せた。記念誌『満洲公主嶺ー過ぎし40年も記録』、写真集『満洲公主嶺ーその過去と現在』、DVD『満洲公主嶺ー100年の変貌』の三部作と同窓会会報合本『公主嶺』は、伊藤 聖さんが存在したからこそなし得た、偉大な公主嶺の記録集である。

 ご自分の健康を削って、公主嶺に心血を注がれた、伊藤 聖さん。
 そして、ご家族のご理解とご協力もはかり知れないほど、と拝察します。
 伊藤 聖さんとご家族に、感謝してもしきれない思いです。
 心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
伊藤 聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる