
神島利則君をしのぶ
三村 勉(28回生)
同じ公主嶺に生まれ育ち、小学校まで過ごした。私とは全く対照的な性格の持ち主であったが、何となく気があって、よく一緒に行動した。
彼は新京一中へと進み、汽車通学をしていたが、よく車中で私の所へやって来て数学の質問をしてきた。商業科目が余り好きではなかった私にとって、彼と数学をやることは大変楽しいひとときだった。

彼は小柄ではあったが、からだ一杯にあふれるような精気に満ちていて、その独特な身構えが実に見事であった。その生き方も憎めない暴れん坊といった調子であった。
中学4年の終わりごろ、その大暴れが原因となって、中学を退校処分となる騒ぎとなった。私は単身、中学に乗り込んで説得した。学校側との話し合いで、彼は中学4年修了の資格で拓大の3年制予科の1年に入学した。昭和15年の春のことであった。
【注】三村 勉さん(右写真)は小学校は公主嶺小学校では同窓だたが中学は新京商業。しかし、無二の親友だったという。戦後は音楽の道に進み、日本ハープ音楽院長をつとめた。1995年6月4日に旧友から惜しまれ71歳で没。
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