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zoom RSS 伊藤聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子 A

<<   作成日時 : 2016/01/14 07:02   >>

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旧満洲(現中国東北部)の公主嶺という町の記録誌(三部作)の作成を主導した伊藤聖さんが昨年(2015年10月)亡くなられた。その編集にあたって、補佐役を務めた土屋洸子さんが、彼のたぐい稀な優れた編集作業と、三部作の発刊にいたるまでのプロセスと内容を振り返った。

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   公主嶺に縁のある方々へ
        伊藤 聖さんのこと A
                 土屋 洸子

 
 公主嶺の小学校同窓会で作成した「3部作」がある。
 学校創立80周年記念誌『満洲公主嶺ー過ぎし40年の記録』、写真集『満洲公主嶺ーその過去と現在』とDVD『満洲公主嶺ー100年の変貌』の3点。
 昨年(2016年12月9日)、伊藤 聖さんと記念誌について書いたが、写真集とDVDについても伊藤さんの果たされた功績を書きとめておきたい。


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  写真集『満洲公主嶺ーその過去と現在』について

(1)いきさつ:
 会報31号(1989<平成元>年8月20日付)に伊藤聖さんは次のように書いている。(前略)1986年の同窓会で、山口・倉垣両先生から記念誌作成を提案された時点では、写真集の発行計画はなかった。しかし、記念誌の記述を補充する意味もあって、古い写真を捜したりしているうちに、多くの貴重な写真が集まってきた。これらを記録として残すために、記念誌が完成したら写真集を手がけようということになった。
 写真集の発行を計画したもうひとつのきっかけは3次にわたる同窓会の公主嶺訪問であった。いまの日本では考えられないことだが、40年前の建物や風景が、ほとんどそのまま残っていて、中国側の「熱烈歓迎」とともに、訪中の人々を感激させた。健康上、その他の理由で訪中できなかった人たちからも、往時をしのばせる公主嶺の現在の姿がみたいという声が多数寄せられた。


▼第二次訪中団(1985年・駅前広場で)
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 敗戦後、多くの人たちは、体ひとつで住み慣れた大陸をあとにした。厳しい国共内戦下、公主嶺の思いでを語る写真などは、何ひとつ持って帰れなかった。それらの人々にとって、この写真集は何よりの懐かしい記念品となるであろう。
 また「いままでは子どもや孫に話しても、なかなか実感してもらえませんでしたが、この写真集で初めて、公主嶺の素晴らしさを、よくわかってもらえました」という喜びの電話もあった。客観的な資料としての価値も十分に考慮した写真集が出来たのではないかと思っている。(後略)


(2)体 裁
第1部を戦前のモノクロ写真286枚、第2部を現在のカラー写真229枚で公主嶺を記録したA4版、190頁の写真集。表紙は「赤い夕日」の朱色。「公主嶺市街図 昭和10年〜20年頃」(A3版、モノクロ)を添付。

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(3)構 成:
第1部:回想の公主嶺:公主嶺駅、機関庫、駅前通り(泉町)、小学校旧校舎、ロス建と満鉄住宅、小学校新校舎、農事試験場、畜産、農業学校、公学校、ロシア墓地、独立守備隊、駅前通り(堀町)、公主嶺十六景、鮫島通り、公主嶺公園、満鉄病院、騎兵連隊、機械化兵団その他、中国人街、水源地、遼河、臥龍泉、公主稜

第2部:現在の公主嶺:公主嶺駅、公主嶺賓館、第一中学、農業科学院、西興華街(霞町)・西振華街(楠町)、駅前通りと泰平橋、大馬路(鮫島通り)、西一馬路(落合通り)・東一馬路(三船通り、児童公園、大踏切・駅裏付近、雄鷹路(東踏切通り)、空軍官舎・東山公園、日本人墓地
参考資料:掲載写真一覧、あとがき

(4)その他
掲載写真には、番号、題名、説明があり、掲載写真一覧には、撮影年月日、撮影者、所蔵者などが記載されている。

▼左端が伊藤聖さん=創立100周年の記念大会で
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 伊藤聖さんは、記念誌の編集中に「歴史を物語る貴重な写真がたくさん集まった。記念誌に全部は入らない。写真集を作ろう」と提案された。編集委員に異論はなかった。
 写真集の編集には、今井律雄さん(28回生)が伊藤さんの右腕となった。今井さんは、公主嶺で父上が「やなぎ写真館」を経営し、自身も東京でスタジオをもつ写真館を開いていた。伊藤さんと今井さんの、写真の配置をミリの単位で検討している様子を、私はただただ驚嘆してみていた。
 会計を担当する山本清寛さん(35回生)が、記念誌、写真集各1400部を自費出版するための予算を立てた。予約を受け付け始め、同窓生や関係者から寄付金をいただき、なんとか、出版することが出来た。編集委員や有志が小久保博司さん(36回生)の会社に集まって、記念誌、写真集を発送した日の伊藤さんの表情は、本当に嬉しそうだった。

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 記念誌の編集から写真集ができるまでの2年間、伊藤さんの健康は、良好でなかった。
 記念誌作成の最終段階のころ、T病院の病室で「ここから先は君がやりなさい」と言われたことがあった。A社自費出版部で、最終の打ち合わせを済ませたけれど、私は、これがパニックに陥った状態だと自覚した。そして、入社して1年で、見習いから編集長補佐まで昇り詰めたと思うことで、パニックから逃れることにした。指導は厳しいが、部下の責任を全て背負ってくれる、最高の上司だと感じた。


 自分のことをほとんど他人に語らなかった伊藤聖さん。
 他の力を借りなければならない時、手術の前日に依頼するという、強靭な意志を持っていた伊藤さん。一方で、この頃のご家族のご心情は、大変なものだったと思います。ご家族のご理解、などの言葉では言い表せないものだと思います。
 公主嶺は、伊藤さんとご家族のお力で、貴重な記録を残せました。ありがとうございました。


【追記】『満洲公主嶺ー100年の変貌』については、Bに書く予定です。

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