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zoom RSS 満洲・公主嶺『記念誌』 語り伝えたい

<<   作成日時 : 2016/02/08 06:18   >>

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「満洲・公主嶺(過ぎし40年の記録)」が発刊されてから来年は30年。関係者も他界する人多く、「過ぎし70年の記録」の風化を危惧せざるを得なくなった。歴史的にも稀有なこの貴重な記録を後世に伝えるためにも、当時の編集者たちの熱い思い(同書・あとがき)を、今一度反芻してみたい。

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        <あとがきから>
 
 「偽満」(うえいまん)−重い響きを持つ言葉である。現在の中国の人々は、かつて存在した「満州国」をこう呼んでいる。そこには日本の侵略行為によって深い傷をうけた民族の憤りが、痛いほどに感じられる。その心情への理解なしに、今後の日中友好はありえないだろう。
 このことを十分にわきまえたうえで、「しかし」と、ためらいながらの言葉をつづけるのは不遜であろうか。たしかに沈黙を守ることも反省の一つの表明でもあるかもしれない。しかし、あえていいたい。私たちにとっての「満州」は決して「にせの幻の満洲国」ではなかった。そこで生をうけ、そこで生きてきた現実の土地であった。現代史から「満洲国」を抹殺することができないように、私たちの心から「満州」を消し去ることはできない。


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 昨年秋(昭和61年)、東京・九段会館で開かれた第五回同窓会で、山口、倉垣両先生から「来年は公主嶺小学校の創立80周年(2017年は110年)にあたるから、何か記念誌を残そうではないか」という提案があったのも、あの土地で共に生きたものの「生のあかし」を記録にとどめておきたいという思いからであったに違いない。毎月一回の編集会議を開いていくうちに、小学校のことだけではなく、自分たちの父祖が生きてきた公主嶺の町そのものの歴史を、できるだけ忠実に再構成してみようということになった。正史とエピソード(外史)とで、公主嶺の町を立体的に浮かび上がらせようと試みた結実が、この本である。

▼編集会議
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 それがどの程度、実現できたかは同窓生の皆さんに判断してもらうほかないが、ただ一つの誤算は最初の見積もりの350ページを大幅に超過してしまったことである。体一つで引き揚げてきた人々には持ち帰ることを許された資料は何もなかった。したがって歴史を再構成するといっても、思い出を主とした文集になるかもしれないとの予想が最初はあった。しかし、編集委員の努力によって、多くの資料が発掘され、客観的な記述にもとづき、具体的に「過ぎし40年の公主嶺」を描きだすことが可能になった。そのために同窓生から寄せられた貴重なエピソードのいくつかも割愛せざるをえなかったのは残念であり、また心から申し訳なく思っている。ご容赦を切にお願いしたい。
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 編集を終えてみると、あの小さな町の歴史は日本の現代史の縮図であったとの感が深い。小さな町ではあったが、その小ささが適切な規模であり、それがいまでも同窓生のまとまりが強い一因でもあろう。その町で、人々の暮らしがあり、喜び、悲しみがあった。国家の意思とはかかわりのない生活があった。中国民衆の幸福のために尽くした人々の記録もここには残してある。農事試験場でおこなわれた品種改良は、人類の遺産とさえいいうるものであった。
 懐かしさの「ためらい」の交錯する共感のなかで、まる一年間にわたる編集会議を共にした委員の名を記しておく。

 <寄せられた反響>
◆想像以上に立派な、ずっしり重みのある記念誌でした。たくさんの正確な資料、数々の感動的なエピソード、どこをみても貴重な歴史を知る宝物です(37回生)◆整然としたご編集ぶりに一驚しました。どんなにか、ご苦労があったことを推察しています。(早大図書館)◆あかぬけた造本、優れた編集技術に敬服しています。さらにいえば、この本の価値を一層高めているのは、完全な索引がつけられていることでしょう。(国会図書館)
       公主嶺農事試験場⇒
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