満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −4−

<<   作成日時 : 2016/02/13 07:08   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

公主嶺! 私はこの地名を聞くと、懐かしい故郷を思います。父の転勤で東京、千葉、台北と移り、公主嶺には昭和11年8月から13年8月まで、5年生の二学期から小学校を卒業して、新京の錦ヶ丘高女1年1学期までの2年間、住みました。(記念誌341下段)

画像
   二年間住んでいた公主嶺
    泉 礼子(旧姓清水・30回生


 錦ヵ丘高女には汽車通学して、その後千葉へ移りましたが、小学校卒業という人生の節目は、いつも私の胸のなかに懐かしく残っています。また」公主嶺は、父が軍人として三回も転勤したところです。父は530部隊の初代部隊長でした。主人も終戦まで530部隊に所属していました。

画像
 公主嶺の家は農事試験場畜産部の前にある陸軍官舎でしたので、羊の群れがよく遊んでいました。冬は庭に土を盛り、囲いをして水道の水を流し、スケート場を作って、父や妹達とスケートをしたことなど、懐かしい思い出です。
 そうそう、父は料亭によく連れて行ってくれました。「大和」とか「いろは」とか・・・・・・それがいまも主人との共通の話題になります。同期の奥村さんのご家族「みよしの」にも、主人がよく伺ったそうです。


】公主嶺の邦人人口にも匹敵する軍隊が駐留して公主嶺は一大軍都となった。官舎の建設は昭和10年から始まった。敷島台には兵営が次々に建てられ、その北西の農事試験場畜産科には軍家族の官舎が並んだ。少中尉官舎、大尉官舎、佐官級官舎、と、多少の規模を変えた赤煉瓦の建物が整然と建設されていった。最盛期には100棟以上になったという。右写真は中佐級官舎。(記念誌296頁)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −4− 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる