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zoom RSS 満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −12−

<<   作成日時 : 2016/02/25 07:08   >>

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支那事変の始まるまでは公主嶺も比較的のんびりしていたように思うが、その後段々と戦時体制に入っていった。秩父宮殿下が公主嶺に来られたのは昭和12年ごろであったろうか。父が飛行隊で爆弾についてご進講申し上げることになり、当日の朝、家で講話の予習をしていたことを覚えている。
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    飛行隊に関する余談
       塚本増能(31回生)


 また満洲国皇帝が飛行隊を視察されるために公主嶺へ来られ、われわれ児童も隊へ行く学校の横の道に並んで、自動車のお出迎えをしたことがあった。大きな重爆撃機がすぐ目の前で離陸するのをご覧になった皇帝が思わず「アイヤマー」といわれたと、お側にいた父が帰宅してから語ってくれた。
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 その飛行機も九三式から九七式重爆撃機にと交替し、敵のスパイにその編成や保有機数を知られないように、翼の下や胴体に書いてあった記号と番号も全部消されてしまった。
 また陸軍では兵科別の色の襟章をつけていたが、関東軍だけは防諜のため、間もなくこの襟章を外してしまった。このため父は内地へ出張した際、周囲の人が不審そうに見えるので、遂に新義州に着くまで青色の襟章を仮縫いしてつけてきたとのことであった。

】写真は陸軍九七式重爆撃機。当時は軍用機のネーミングに紀元節の年号を使用した。昭和12年は紀元2597年。昭和15(紀元2600)年に登場した重爆は百式(通称呑龍)と呼称した。なお、塚本さんの父上は公主嶺飛行隊の隊長だった。

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