
■小学校旧校舎 その1
満鉄時代の校章↓

30 公主嶺小学校正面

31 尖塔があった小学校
キリスト教会は一般に十字架を形どって十字形に建設され、その平面図の中心に「フレッシュ」と呼ばれる尖塔があった。明治42年ごろのこの写真は、はっきりと塔が見える貴重なものである。もちろんロシア時代、塔の上には十字架があったはずである。この尖塔の跡が、のちに天窓になった。
まだ前面に校舎がなく、門までが大きくあいているのがわかる。のちに満鉄はこの場所に2階建て煉瓦造りの校舎を増築した。

32 大正期の校舎A
もとのロシア教会の前庭に2階建で校舎が増築されたのは、明治44年から翌年にかけてであった。この写真はこの増築が完成した大正2、3年ごろのもの、2階建の左右に見える平屋が写真31の両翼である。
正門の表札は向かって左側が「公主嶺尋常高等小学校」、右側が「公主嶺実科女学校」、玄関左は「公主嶺実業補習学校」らしい。

33 大正期の校舎B
大正5年ごろのもので、上の写真に比べ木がやや大きくなっている。右の幼稚園との間には道路があって、そこまでが小学校の敷地であったらしい。手前広くあいているのは駅前広場である。

34 大正期の校舎C
正門の表札は写真32とは左右が入れ替わっている。増築部分にもかかわらず、コーナー・ストーンやロシア・レリーフなどが見られるが、これは満鉄がロシア様式をまねて建築したものである。増築部分はイギリス積みだった。
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