
「武士道」のカラスの群れ
大野敦子(34回生)
白い御影石にのびやかに刻まれた「武士道」という大書は、子供心にもその文字の美しさにうっとりとあこがれ、刻みに沿ってそっと指先を入れては幾度となくなすってみたものだ。
武士道入り口のすぐ前に住んでいた私は、学校から帰ると弟妹や近所の腕白小僧たちと一緒に、この林の道をくぐりぬけて練兵場や鳩舎、ロシア墓地、射撃場を遊び回り、やがて射垜(しゃだ)の向こうの地平線に大きな赤い夕陽が沈むと家路につく毎日であった。

昼間でも小暗いこの林の帰り道は、さらに夕闇がたちこめて薄気味悪く、急ぎ足にポケットの中の宝物の弾を数えながら「からすが啼(な)くからかーえろ」とみんなで唱えると、けたたましい啼き声が響いて空一面を真っ黒に覆いながらねぐらに戻る烏の大群に出会うのが日課であった。今は既に林も碑もその影を失ったあの武士道は、母なる懐にも似て群棲の塒(ねぐら)として今尚、私の心に存在している。
【注】町の西の端に「武士道」という地名があった。練兵場の南端に沿って走る細い道の入口あたりに「壮烈」と大書した自然石の碑があり、満州事変のとき南嶺で戦死した倉本中隊長の事跡が刻まれていた。この碑に由来して武士道と呼ばれるようになった。
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