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zoom RSS 満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −54− 

<<   作成日時 : 2016/05/03 06:04   >>

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ノモンハン事件が起きたのは私が4年生の夏のことでした。深夜、サイドカーの音がして菊地町のわが家に止まり、父があわただしく出動していくのを見送りました。(記念誌365頁上段)

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   ノモンハンの鋼鉄線
    村岡恵子(旧姓森兼・34回生)


 間もなく陸軍病院近くの婦人が中国人に襲われて頭を割られたとかの噂が流れ、夜あちこちで犬の遠吠えがしだすと、母はそっとカーテンをめくって戸外をのぞいたりしていました。野菜を積んで行商に来る中国人に、母が野菜の高くなった苦情をいうと、「ジャングイ不要(プヨー)」といってニヤリとしたので気味が悪かったと話していました。ノモンハンで苦戦している噂が流れていたのでしょう。
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 2学期に入って、新校舎の2階の教室に夏休みの作品とともに展示されたものがありました。それは真っ白いパラシュートと、あめのようにからまりあったピアノ線でした。私はこれがあれほど日本軍を苦しめた実物かと、こわごわ触れてみました。このピアノ線がキャタピラにからみついて動けなくなり、そこへ集中砲火を浴びて、同級生のお父さんの吉丸戦車隊長は壮烈な戦死をされたのでした。
 平和なピアノが恐ろしい武器として使われたノモンハン事件は、忘れえない悲しい出来事でした。

】ノモンハン事件(1939年5月〜9月)でソ連・外蒙古軍と対峙した日本軍の主力部隊は、公主嶺から急派された部隊(戦車、飛行、砲兵、工兵)だった。したがって犠牲者も数多く、同窓生の父親(吉村少佐)などが戦死、公主嶺は悲しみに包まれていた。小学校一年生だった私らは無言の帰還をした白木の箱に深く頭を垂れたことが思い出される。なお、事件については半藤一利氏の「ノモンハンの夏」(右下イラスト)に詳しい。

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