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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −2−

<<   作成日時 : 2016/06/06 06:31   >>

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私の満洲での思い出といえば、何といっても満州事変のことである。その当時は小学校1年生であり、しかも家が河南の中国人街のちかくにあった。時刻は忘れたが、突然、匪賊の襲来を受けたことがあった.。(記念誌268頁)

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   畳を立て掛け弾よけ
       遠藤雄三郎(29回生)

 
 家の近くでパンパンと激しい音が聞こえた。子供だった私は中国人が鳴らす爆竹の音と思い、外に出てみようとして戸を開けたとたん、ヒュヒュと弾の飛んで来る音が聞こえた。それと同時に「危ない、中に引っ込んでいろ」と大声で怒鳴る父の声がした。
 私はびっくりして押し入れのふとんの中にもぐりこんだ。父たちは窓に畳などを立て掛けて弾よけを作り、家族で身を寄せ合って恐ろしさを耐えていた。
 どのくらい時間が経ったのか覚えていないが、私にはかなり長時間のように感じられた。やがて銃声も止んだ。しばらくして私達家族は、警察官の指示に従って避難した。
 その後、父の話を聞いた。映画も見た。あの恐ろしい日は、満州事変の前夜であることが分かった。50数年前、公主嶺での出来事である。今思えばよく厳しい人生を生き抜いてきたと思う。


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【注】満州事変と関東軍(2)

 関東軍は、明治37(1904)年の日露戦争から昭和20年の太平洋戦争敗北までの約40年間、満洲に駐留した軍隊である。最初は関東都督府の軍隊として、日露戦争で獲得した南満洲鉄道と遼東半島南端の租借地”関東州”の守備と、在留邦人の保護にあたっていた。大正8(1919)年4月、関東都督府を排して関東庁を設けた際に、関東軍は独立して天皇直属の軍隊となった。しかし軍中央を無視して独走することが多く、大正14年の郭松齢(かくしょうれい)事件、昭和3年の張作霖爆破事件に関係して、次第に「満蒙」の支配を強めていった。
 柳条湖事件は、武力による満蒙問題の解決を考えていた関東軍の一部が、政府、軍中央をも無視して、独断専行した陰謀だったのである。
 (「昭和と戦争」から)

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