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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −28

<<   作成日時 : 2016/07/19 06:01   >>

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私が小学校に入学する昭和5年の3月に父高次郎は死去した。弟の悟郎はまだ4歳であった。母春子は当時18歳の長兄正二の手助け、それに忠実でよく信頼してくれていた中国人の従業員の協力を得て、父の事業を継続し、男5人、女2人の私たち7人の子供を育て上げてくれた。(記念誌281頁下段)

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   九歳で佛心寺の参蝉
         三村 勉(28回生


 小学校4年の9歳の夏休み、人生の不可思議を感じた私は正二兄に連れられて、毎早朝、曹洞宗の禅寺、佛心寺の東祖心老師のもとに参禅した。老師は真の高僧といえ、幼い私の心をとらえた。
 以来、私の関心事は禅にあって、小学校在学中はもとより、卒業後汽車通学で新京商業に通ったときも、6時45分ごろの汽車に間に合うよう、毎朝4時起きして、歌人に迷惑をかけないように一人で食事の用意をし、佛心寺に参禅を続けた。

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 そんな私を老師はとくに目をかけてくれ、母に仏門に入れてその道を継がせたいから、養子にということまで勧めてくれた。私は在家にて禅道に励む志でいたので、お断りした。その後もずぅと参禅を続けているが、祖心老師のような方に接することは出来なかった。
】■佛心寺
 『付属地経営史』によると、禅宗の大応山佛心寺は東祖心が大正2年4月、花園町1丁目に借家して始めたもので、「大正2年の春未だ肌寒い3月、若き旅僧として公主嶺に足を留め、当地布教に従はん事を決意し、同月公園入り口のあばら屋を借受け、之を佛心寺と称した」という。しかし三村勉(写真=28回生)によると「東住職は明治の末から公主嶺に居住し、井上日召が参禅したことがあった」とのことである。(記念誌95頁)

追記】三村勉さんは兄・神島利則とは同期生(28回生)。神島中尉が特攻死した時に寄せた手記を・・・。
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